の芽がふくらんで来たそうです。正月九日迄大同で十日から動き出し、内蒙、黄河畔、陜西省境をまわって七日に一ヵ月ぶりで帰り、当分休養の由です。丁度そこへ手紙や荷物がつくことになればようございました。隆ちゃんはあっちへ度々たよりをよこすそうです。そして軍隊の空気にもなれたので楽になったと安心するよう云ってよこすよし。風邪一つけが一つとしなかったと書いてあります。
 咲枝の兄の俊夫が(明治生命につとめている)一年半ぶりでこの間無事にかえりました。そして社報に日記抄を出しています。ずっと日記をつけたらしい。日ごろ妹たちにも大人並には思えないような風に見られていたのに。主観は単純であるが、こまかに様々の様子をかいていて、文章は独特に新鮮で、誇張、修飾を知らない味にあふれて居ます。水上瀧太郎にほめられたと云って大よろこびの由。阿部章蔵はあすこの親分です。文章をかくのが面白くなって来ているそうです。このひとは子供の時代の病気のため不幸な生理事情があって、家庭生活もこれまでは悲惨めいていましたが、その妻になっている人は(初め経済的条件だけ目あてだったのが)今度はしんから心配したし、そういう点も何か変化を生じたらしいそうです。いろいろのことがある。
 ○私はそちらへ通いながらでも、仕事をしてゆくことが出来る自信がつきました。事務的なこともちゃんと整理しておけば心配もないし、そちらに行って待つ間落付いた気持で、頭の中にあるつづきを考えていられるようになりました。これは大変にうれしい。それに、自惚《うぬぼ》れですみませんが、ユリは御飯だと、自分を考えているのですこの頃。どんなものだって自分の御亭主に御飯たべさせもしないで仕事にかかる女はいないでしょう? ね。だから、先ず一日のはじまりに御飯もって行って、ちゃんとたべさせて、自分もたべて、さて、それからととりかかる次第です。この御飯という考えは、その欠くべからざる性質においても私のようにおなかすかしには適切だし、なかなか生活的だと思います。しかも、私にあっては、よく仕事すればするほど、質のいい御飯がいるのですから、猶好都合です。
 そちらに通う時間について考えていて下すってありがとう。大体三十分―四十分です片道。家から上り屋敷まで歩き(二丁)そこから池袋まで電車。それからバス。バスからそこの四角の二辺をぐるりと歩く。八時二十分ぐらいに出て、そ
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