やっぱり第一に貴方に云いたいのですもの。
この次お目にかかる時は、もう私はちゃんとした勉強にかかっています。気をひかしたりしないで、貴方に喋れるのは何といい心持でしょう。
今のところ、ひさもいつかえるか(国へ)わからず、ずっと落付いて居ります。
その後お体はどうでしょう、順調ですか。ひどい風の吹く季節もすぎ、きょうは荒っぽい天候だが、東の窓を机からふりかえって見ると、濃い鼠色の嵐雲の前に西日をうけた八重桜の花が枝もたわわに揺れて美しさと激しさの混りあった光景です。欅の若芽も美しく北窓から見える。今年私たちは恒例のピクニックもしなかったら、この頃健坊たちがしきりにどっかへ行こうよと云うので、多分来週の日曜日にはどこかへ奥武蔵辺へつれて行ってやることになるでしょう。
親たちと私とは一昨日春陽展を上野で見ました。木村荘八、中川一政、石井鶴三、梅原龍三郎の諸氏の画境について、実に何とも云えぬ印象をうけて来ました。中川一政の昔の画集に巣鴨の昔のそこの附近を描いたものがあったりして独特の味をもっていたが、この数年尾崎士郎や芙美子女史の芝居絵のような插画を描きまくっているうちに、画技は衰え、しかも文筆の上で妙なポーズをかためたのが却って画家として他に語る方法を可能ならしめたこととなり、実に熱意もなければ愛もない画を出している。鶴三はレビューを油で描くのはよいとして、その見かた描きかた、「こんなのもやりますと云っているようだね」という評が適切です。これを見ても、私はそう云っていてはきりがなくなる、と云われた貴方の言葉を思い出し可怖《おそ》るべしおそるべしと毛穴から油あせを感じた。先生先生とぺこぺこされ、金になり、描くほどに金になってゆくと、こういう袋小路につまるのですね。往年の春陽会の気品というようなものは熱心と探究心とを失って、まるでお話になりません。これから見ると、国画展の方が生気があり、ましで、一枚一枚を見ようという気をおこさせた。
いつか、麦遷と溪仙《ケイセン》との遺作展があって偶然見たことを書いたでしょうか……土田麦遷という男が展覧会の大きな大原女などで試みて居たものが、そこにあった花鳥小品にはちっとも徹底していないで、全く平凡な色紙絵のようなのにおどろいたこと、書いたかしら。溪仙の方は碧紺などに独特の感覚があり、空想力もゆたかでたのしんでいるところ遙かに面白かった。
何か色の絵はがきを送って上げたいと思って、上野では暫く見たがろくなのがないからやめてしまいました。
ところで、改造の本ですが、あれは品切れで(本やは絶版と云ったが)一寸手に入らないので、改めて古本屋にたのむことにいたします。三笠のは配本を中絶したので大変おそくなってしまいましたが、古いのお送りいたします。
今六時がうつのに、まだ明るい。
この手紙はまとまりのわるいようなものになりましたが、まだすこし気が立ったところがあるので、あしからず。そちらからはなかなか来ないこと。それだのに九日間かかず、それを知っていて、却ってごたごたやっている間に又のめのめ書くということが出来なかったのです。こういう心持も貴方はよくわかって下さると信じます。では又御機嫌よく
四月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月二十三日 第二十信
きょうは小雨が降っている。静かな明るい雨。いろいろな緑の色が雨に映っているような雨です。
きのうは、外へ出て広い空地の方へ行ったら小さい雨粒が一つポツリと額に当って、降らないうちにと大いそぎで、黄色い鼻緒の草履で歩いた。それでも家へついても大丈夫だったけれども。
昨夜は、本当に楽々としていい心持で眠りました。そちらはいかがでした? あの小さいところが開いて、そこから溢れて私をつつんだ心持が、私の心と体とにずっと今ものこっていて、何とも云えず安らかないい心持です。私たちは互に顔を見合わせたとき、いつでもきっと、この前会ったときからのはっきりした心持のつながりの上で、合わせばすぐぴったり合う切りくちで、互に顔と顔とを合わせる。これは本当にありがたいことだと思います。きのうはうれしかった。けさ夢のなかで、私のてのひらがまざまざと頬の上を撫でて、近くある眼とその手ざわりに感動して、優しい呻り声をあげて目を醒しました。そしたら静かに雨が降っている。きょうはそういう工合の日。
さて、私はいよいよ伝記の仕事にとりかかります。大変面白いものにします。いろいろな角度をこの評伝のなかに反映させ、最も豊富な人生と文学との流れの美しさで貫こうというつもりです。
芸術の仕事は、勿論目前に読まれることが大事だが、読まれないからと云って何も変るものではないし、私は芸術の仕事にきのうきょうとりかかっているのでもないから、張り合いを失うということもそう大してないと思う。逆説的に云えば複雑な形で、大層大きい期待と張り合とがあるようなものです。だから、大変だから一層本気で暮さなければということの実質がここにあるのだと思うわけです。
ずっと昭和文学史補遺のようなものを、年々まとめて書いておくことも大事であると考えて居ります。昨年の末から書いた現代文学の展望のつづきとそれ以後の作品の現実について。これは有益なことであるから必ずやるつもりです。
文学としての諸潮流のありよう、或はあらざる有様もその変遷もなかなか面白い。
昨夜一寸『婦人公論』を見たら、ラジウムのキューリー夫人の伝をその娘の一人が書いているのをよみました。キューリー夫人が、女としてどんな幸福な妻であったかということ、その豊富な夫妻の共感共働が貧窮の灰色をさえ光らせているのを見て、感じるところが実に深かった。世の中には見事な生涯を送る夫婦というものが、いろいろの形でどっさりあるでしょうが、キューリー夫妻は、その傑作であったと思う。今のある種の若い人々にこれをよませると、ともかくそれだけ熱中出来る目的があったのだから幸福ですわ、というでしょうね。目的のないこと、才能のないこと、それを自覚しているというのが賢さの一モードであるから。同じ『婦公』に出ていて面白く感じたことは、現代の若い婦人への注文でいろんな先輩が、誰でも云うことをそれぞれ部分的に云っているが、今日の若い人々のリアリズムが、生活上負けた形でのリアリズムであることを指して居るのが一人もなかった。
その結果から生じている現象だけをとりあげていて、それがいけない、と云っている。実生活でその人々自身負けているリアリストで、ただ人間的理想というか、或る道義感というか、そんなものでだけ注文をつけている。自分が生活の経験を重ねるにつれて、現実にまける度がつよくなるにつれて、反動として青年に純粋なものを求める人々の感情をこの頃深く観察します。丁度中村武羅夫氏の純文学論のようなもので、自分が書くものはああいうもののために、芸術作品を云々するとひどく息まいて来る。人生の一波一波をその身で凌いで、いるところでものを云い、書きするということ、芸術家のとことんの力はこれできまるようなものですね。その抜き手のためには何とつよい腕と肺活量がいることでしょう。
松本正雄というひとと鉄兵とがバックの短篇を訳したのを六芸社から送ってくれました。主として、はじめのひとがやったらしい。読んだらお送りして見ましょう。茂輔さんの『あらがね』も送って見ましょうか。スノウの本はすこしお待ち下さい。
寝汗せは例外として出るのでしょうね。どうか呉々お大事に。これから夏にかけて、又十分気をつけましょうね。私の盲腸は、はと麦と玄米と黒豆とを煎《い》って挽《ひ》いたものを煮てのむことで大分つれなくなりました。では又。寿江子のことを書くのを忘れた。この次、別に何でもないけれども。
四月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月三十日 第二十一信
さあさあと水道を出して洗濯ものをゆすいでいる音がしている。風呂場では水道の栓が来ていないから流し元でやっている。風の音が裏の電車の響を運んで来る。そしてすっかり障子を閉めていても、裏の北窓から見える青い空と気の遠くなるような欅の若葉の青々とした色と重みとがこの紙の上までさして来ているような心持。本当に初夏になりました。お体はいかがですか。やはり時々は寝汗が出るようでしょうか。どうか御大切に。リンゴをよく召上れ。よくすっかり噛《か》めば腸にももう大丈夫でしょうし、腹の健康を増すためにもよいと思います。東北大で赤痢をリンゴ液で癒す実験に成功したこといつか余程前にも申しましたね。そう云い乍ら私自身は大して食べられないような工合で威張れないが。
きのうは祭日で歌子さんが休みなので、少々慰問のため、裏の武蔵野電車で二十分ばかり行った大泉の野原へ栄さんと三人で午後から歩きに出かけました。赤松とくぬぎ欅の雑木林の多い、いかにも高原風な風趣のあるところです。風致地区になっているので、やたらに家も畑もつくらせず、自然の草道が切りひらかれた雑木林の間に遠く消えている。その見とおしが心をひきつけるのであすこへ行って見たいとつい歩く。そういうところで、景色の北方めいた荒さその中に流れている優しさが、実に私の好みに合うところです。上り屋敷から22[#「22」は縦中横]銭でそこへ行ける。よいところを見つけ出したものだと大満足です。しかしここは大人のしかも音楽を好くような人間の或種の人を魅するのであって、太郎などは駄目。第一お猿がいないし驢馬《ろば》もいないし。
太郎親子は一ヵ月余国府津で暮しました。そしてかえって来て太郎を幼稚園につれて行ったら、アアちゃんの手をぎっしりつかまえて一言もきかず。門のところで大いに泣いたそうです。幼稚園には先生がいます。ところが太郎にとって先生というのはこれまでの生涯に医者しかない、白いおべべの先生と云う言葉のために、欲しいお菓子もやめさせられたのです。幼稚園へ行って見たら先生がいてしかも白いものを着ていて、見馴れぬ小さい子供たちが口々に先生先生と云っている。太郎の満身に汗が出た心持も分る。大いに同情いたします。しかし私は大変おばちゃん根性をもっていてむっちりしていて、而も勇気のある、リズムのある少年太郎を大いに待望しているのだが、どうも。子供は子供自身のものをもって生れて来るから仕方がない。ヴェトウヴェンはオットウという甥をもっていて熱愛した。甥はぐれて、生涯伯父に厄介をかけました。が、その手紙に曰く、伯父上あなたは実に立派で実に偉大な人間の愛情をも持って私に対して下すった。けれども、私の生れつきに対してあなたは余り正しすぎ立派すぎ美しすぎ、自分に迚もその真似は出来ないと思うことから私はよけいに下らないわるいものになった。もっと下らない平凡な伯父であったら、私は平凡ではあってももうすこし世間並に暮したでしょう云々。勿論これは成り立たない弱者の逆《さか》うらみです。しかし現実の生活の中にこれはどの位あるでしょう。本当に、どの位微妙な程度と変化においてあるでしょう。そして、この人生に真理と美とをもたらそうとする人々の、其々の心くばりというものが、どんなにこまやかにまめで、うむことをしらぬ多様さ、堅忍、己を持することの高さの故の親しみ易さがいるかということも痛感します。人間を見くびらないが甘くも見ない、しかし真に人間の力を信じている人間というものはすくないが大切な存在です。
寿江子はこの間私と行った熱川に2円の家(一ヵ月)をかりました。明日あたりそちらへ行くでしょう。この頃インシュリンの注射液は輸入統制をうけて居り、重い傷のために必要で病院でも代用品です。寿江子の糖がすこし多いので、暫くあちらで暮すつもりらしい。国男はよい折に車を小さいのにしておいたと云って居ります。ガソリン券というものをわたされました。ああいう小さいのは一日つかえますが、アメリカの馬力の大きい車パッカードその他は夜になるとガソリンがなくなります。バスやタクシーの少なくなる不便を電車の長時間の運転で補われる由です。ここに住ん
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