痰「ないと思います。意識してこらえたけれどもちょいちょい、いやよ、だとか何だとか云っていた由。今の疲労の種類は何だか分らないが、ともかく、何日でもまるで静かなところへ頭をつっこんで眠りつづけたいという欲望のように感じられて居ります。そちらの懐の中へ顔を押しこんで眠りたい、そういう工合。
 すっかり着ているものをはがれて、目かくしをされて、暖い空気の手術室の中で何か堅い台の上にねかされたとき、それは臥かされたよりころがされた感じで、非常に無力な異様な感じでした。今度はいろいろ珍しい経験をいたしました。あなたも手術で入院していらしたことがあるのね。この間うち下すった手紙では、私はいろいろにあなたが闘病の間に行っていらした工夫や努力や不如意の克服やらをはっきりと感じることが出来、深い感想があります。
 この手紙のあとは元日に又書きます。
 この疲労のために、傷の快癒よりも、全体のろのろと進行している形です。いそぎませんからどうぞ決して御心配なく。血液が清潔であること、糖もタン白も出ていないこと、こういう手術をするとそれらのことが随分仕合わせになります。きょうは九日目ですが本なんか一行もよまずです。急にバタバタ来て、本一つも入れてない。これからポツポツ。この病室は内庭に向って窓があって青空の下に檜葉《ひば》の梢と何かの葉のない枝が見えます。側台にバラが二輪とさち子さんのくれたシクラメンの鉢。ではこれでおやめ。どうか呉々お大切に。お茶かけアンモを上った頃つくのね、私は今年はアンモなし。傷によくないというから。ではこれで本当に今年のおしまいにいたします。



底本:「宮本百合子全集 第十九巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年2月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
※初出情報は、「獄中への手紙 一九四五年(昭和二十)」のファイル末に、一括して記載します。
※各手紙の冒頭の日付は、底本ではゴシック体で組まれています。
※底本巻末の注の内、宮本百合子自身が「十二年の手紙」(筑摩書房)編集時に付けたもの、もしくは手紙自体につけたものを「自注」として、通し番号を付して入力しました。
※「自注」は、それぞれの手紙の後に、2字下げで組み入れました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:柴田卓治
校正:花田泰治郎
2004年7月30日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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