wど生理的な心持を伴っていて、一種云いつくせない味です。
『文学者』という雑誌が刊行されました。同人としては、伊藤整、板垣直子、春山行夫、丹羽文雄、本多顕彰、徳永直、徳田一穂、岡田三郎、尾崎一雄、尾崎士郎、大鹿卓、和田伝、上泉秀信、田辺茂一、楢崎勤、室生犀星、窪川鶴次郎、福田清人、浅野晃、榊山潤、水野成夫と申す顔ぶれです。『戦争と経費』その他は買ってありません。そちらでも御読みになれば買おうというわけでした。昨夜『馬仲英の逃亡』をよんで(半分ばかり)大変面白く思いました。ああいう科学者の経験というものについて、局部的な経験、現象的な経験というものについて、考えられました。あの限りで自然も人事もよく描かれているけれど。大馬というのは仲英だけの名ではないのだそうです、スノウによれば。馬一族を称す。そして、回教の中に新旧が分裂を生じている。新は南京からの討伐をともに受けた。旧が白ロシア人をやとって市を防衛した例でしょう。探険家にそういう事情がわかっていないらしい風です。でもあの年でああいう旅行に堪えることはうらやましい。きっと盲腸なんか切ってあるのでしょうね。しみじみそう思った。お笑いになるでしょうけれど。
『世界名著解題』は第三巻まで順次出る由です。あれは第一巻。いかがですか。あってよい本の部ですか?
 富雄さんに何を送ったらよいかしら。経済事情の推移の分るものがよいでしょうね。考えておきます、暮から正月にかけてよむように送りましょう。
 繁治さんはあの日出かけなかった模様です。従って十四日以後はそちら些か御閑散でしたね。
 お正月並に外出用の冬着を一組近日中にお送りいたします。お正月に行ったら、どうぞ、それを着て見せて頂戴。栄さんのお年玉というのは、その羽織についている紐です。皆によくお礼は申します。栄さんの編んでくれた毛糸の衿巻というのもお正月になったらお目にかけます。私たちから栄さん夫妻に上げるのは、茶呑茶碗一組(二つ)です。いいでしょう? 戸塚は例年子供が主で、今年は健ちゃん英語がよめるから何かやさしい文句のついた外国の本をやります。どんなに大人になった気がするでしょうね。智慧のひろさのよろこびがどんなに新鮮でしょう!『図書』の西田幾多郎の文章、偉いと云われる半面のああいう稚さ。西田さんには私のような皮むきがないから。可哀そうに。(笑話よ)ではお大切に。今年かぜをお引きにならなければ黄金のメタルものです。

 十二月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 きょうは思いがけず昨夜の夜なかから盲腸が痛み出して、さっき慶応のお医者に見て貰ったらこのままにしておいてはあぶない由です。やむを得ず入院いたします。そして西野先生や何かにもう一遍見て貰って切る方がよいときまれば、いつぞやお話したことのあるモテギ先生に手術願います。国男のをやって頂いたからきっと一族共通であるという盲腸の癖もわかっているでしょうから。勿論こんなくされものを持っていない方がよいのですが、手術はこわいと思います。でも手おくれは猶こわいから、マア仕方がない。
 昨夜はひとりで閉口し、けさ寿江子を呼び今いろいろやって呉れて居ります。うちにいて、たった一人で気をもむよりはよし。まだ何にもわかりません、何日入っていなければならないかも。もし切るとしたら私はお守りのようにあなたの御加護をたよりますから、どうぞどうぞ効験あらたかであって下さいまし。これは本気です。本当の本気よ。
 又何日間かおめにかかれなくなりますがどうぞそちらお大事に。呉々お大切に。あした寿江子様子を申し上げに行って貰います。熱は六度八分ですから大助りです。では一寸一筆。三時ごろまでに病院へゆきます。今二時。

 十二月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 慶応義塾大学病院より(封書)〕

 第八十五信 おなかの傷の上に蒲団がじかにかからないように金《かね》の枠がかけてある、それにこれをよせかけて一筆。きょうはいいお天気らしい様子ですね。枕元に窓があって、まだ仰臥状態で見えないけれど。
 かぜのおしまいに盲腸がいやな気持と云っていたのがやはり本ものになりました。
 二十日の夜独りで眠れず苦しんで、夜があけるのを待って寿江子に電話をかけ湿布の薬をもって来て貰いましたが、前夜《ぜんや》の嘔気の工合で、今度は或は切ることになるかなと予感して居りました。ともかくお医者に診て貰ったら、切らないでいいという程軽くない、由。それでも熱は七度五分位で、熱にかかわりなく又痛みの自覚にもかかわりない由。
 三時半ごろ雨の中入院して手術にかかったのは五時すぎ。一時間余で、正味は三十何分。創《きず》は6センチ。盲腸は一部ユ着していて、腰髄麻酔で手術したが、ユ着をはがすとき胆汁を吐きました。すこし化膿しかかっていてやはり放っておくと腹膜をおこすところであったそうで、西野博士も手術前見たとき今度はありますねと云ってらしった通りです。血液検査をして白血球をしらべたら普通四千から六千なのが二万以上であった由。一万を越せばもう全身症状で有無は云わず切るとのこと。よかったと思います。経過もよくて、傷の痛みで誰でも夜眠らずさわぐそうですが私は何だかポーとなって、口が乾いてちょいちょいおきたがその間は眠りました。食事はスープおもゆ五十グラムずつ位のところ。きょうは第三日目で玉子のキミ一つに果汁アイスクリームをたべてよい由。
 それでも、私にとって生涯の難物だったつきものがこうやってとることが出来て、手術で心臓が妙にもならず本当によかったと思います。早ね早おきの陰徳はかような場合の抵抗力となってあらわれ恐らく元のようにしていたら盲腸そのものはもっと危険になり、手術ももっと困難だったでしょう。
 こうやってねていて、あなたがお元気だと思うと何より気が休まる。本当にお手柄です。どうぞその勢でお正月私がおめにかかれる迄益※[#二の字点、1−2−22]元気でいらして下さい。
 普通八日目に抜糸だそうです。私のは只一ヵ所縫ってあるだけで、あとは万全を期してあけてあるそうです。キレイな傷口の由。何日かかるのか只今では未見当ですが大体十五日ぐらいではないかしら。うちへかえるのが一月の六日ごろとすれば早い方ではないかしら。
 病院で正月するのは妙のようですが私は却ってああ今年は何たる身心の大掃除! と感じあの右側の体が常に重くてバスにのるのも歩くのも、働くのも常にいたわりいたわりやっていたのがさっぱり左側と同じになると思うとうれしくて来年は、と勇んで居ります。この気持、わかって下さるでしょう。ときには、本を四五冊下げて歩くのが響いて楽でなかったことさえ屡※[#二の字点、1−2−22]だったのですもの。炎症性とか何とか(御研究の知識によって御判断下さい。)一度やったのがかたまってしまうのでなくて再発までずっと同じような病状にある方の盲腸でしたそうです。
 あの着物いかがでしょう。お気に入ったかしら。
 私はここで正月にはおき上れるところまではゆくでしょうから、これまでより更に具体的に条件のそなわった新しい年への期待でたのしく私たちの七年目のお正月を祝します。お雑煮をたべなくたって名を書いた花飾りのある祝箸でたべていいでしょう。そしてあなたの名をかいた箸でたべて十分お祝いしていいわけでしょう?
 二十八日までにつくよう速達にいたします。どうか呉々お大切に。私の方は安心して頂いて大丈夫です、この分ならば。ではいい年を迎えましょう、寿江子や林町へ下った手紙、きのうお土産[#「お土産」に傍点]に見せてくれました、この枕の横にあります、皆はずるいから、こういうものをもって来さえすれば大きい顔をしているの。

 十二月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 慶応大学病院より(封書)〕

 第八十六信 きょうは初めて椅子にかけて昼飯をたべようとしておき出したところ、二十三日、二十六日、二十八日づけのお手紙をどうもありがとうございました。机のところに置いてちょいちょい飴でもしゃぶるようにとり出してよんで居りました。
 この手紙着くのはお正月の一番はじめの分でしょうが、やっぱりおめでとうは早すぎる気がしてまだ書けず。
 二十八日には惜しいことでした。寿江子がすっかり容態書をかいて用事をかいて出かけたのですが、十二時すこしすぎそちらへ着きました。そしたら二十八日は午前十一時までだったの。それを気付かず、二十八日をと日ばかり一心に見て来ていたものだから駄目。失敗しちゃったと悄気てかえって来たので、私もがっかりしたし、一番終りの日様子もわからず歳越しをおさせするのはどうも辛抱出来なかったので、もう一遍行って貰い、特別に面会を許可されるよう願いましたがやはりもう人手がなくて駄目で、様子だけはつたえて下さるとのことで書いておいて来たそうです。わかりましたろうか、本当にわるかった。きっと待っていらしたに相違ないのですから。
 二十六日に化膿しかけているのではないかという心配がありましたが、二十八日傷からしみ出しているのが漿液《しょうえき》とわかり、糸を切ってその水をよくとったらば熱もすっかり下り二十九日は一日六度台(朝6度夜八時六・九)、きょうは朝五・九で今六・一です。大体はじめから熱は低かった。そして傷の癒着も大層よくて今では三センチに足りぬ(一寸に足りぬ)傷口が殆んどすっかりついていて、下の方にはじめからあけてあるところ(手術のとき細いガーゼを入れておいたところ)が小さくあって、そこから漿液をしみ出させている工合です。お医者様もいろいろで、モテギさんは傷を大きくつけて平気な方。私のおなかを切った木村博士は人間の体に傷は最小限につけるという立て前の由。私の決して小さからぬおなかに一寸に足りぬ傷が、きれいに癒着するのは先生の立て前上些かほこるに足ると見えて、近日中に傷の写真をとるのだそうです。何か統計をつくっていられる由です。
 気分は平らかですが、疲労は甚しい。外科的処置は傷がなおりかけると、適当な刺戟で肉も盛上らそうと、もう室内は勿論、すこし歩けと云われます。でもなかなか体が大儀で二三歩歩く位。腰椎をマヒさせたって、やっぱり全身にこたえているし。本当にくたびれかたがひどくて、本は勿論、手紙だってこれが二十四日以来初めてです。ぼんやり仰向いて臥ていて安心したつかれにまかせている。足かけ三年くされものをもっていたのですものね。そして、いつどこで爆発するかという懸念が絶えずあったし、爆発すれば手おくれになる場合が多いのだから、私は白状すれば、思いがけず病気で死ぬとすれば盲腸からの腹膜だと思っていた。ですから私は、いつ、どこで、そういう時に遭っても、あなたへの最後の挨拶の言葉だけはつたえたいと思って、ちゃんと書いて咲枝にずけてあったの、もう二年ほど前から。だってそうでしょう? こんなに互に熱心に生き、この世でめぐり会えた歓びを感じているのに、うれしかったとも云わずいなくなるなんて、承知出来ないことですもの。
 二十一日入院ときまったとき、あなた宛にあの手紙かいて、咲枝に万一私が根治[#「根治」に傍点]してしまったら「あれ」をそちらへ送るように、そうたのんで、それから又別に私たちの生活の事務的なことすっかり箇条書にして、なかなか二時間が忙しかった。今は、もうそういう「あの手紙」もさし当りは不用になったし、よかった。臥ていると、まだ小さい[#図6、「C」と逆向きの「C」がかみ合わさったような形の絵]こんな形の渦が見えるようで、それは生と死とで、短い時間のうちにキリキリと一廻りしたという感じがつよくあります。これは一種特別な感じ。手術をうけたりすると、誰でも感じるのかしら。切迫した何時間、その間にキリキリとこういう形で生と死が廻ったという感じ。
 手術が終った二十一日の夜は譫語《うわこと》が云いたくて困った。これもめずらしい経験です。半分意識しているのね、他の半分の意識が変に明るいようなサワサワしたような工合で、盛にうわことが云いたい気がするの。きっとあなたでもわきにいらしたら云ったに
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