iきのう、一寸話したこと)そして、そのことを当時きかれたとき、今日の二人の条件とは異っていた[自注16]ので、云い難かったこと、それで云えなかったのだったことを理解した。
何という自分は驢馬《ろば》だろう。すぐびっくりする。途方にくれる。いきなり悪かったと思う。何という驢馬だろう※[#感嘆符二つ、1−8−75] 自分に腹立たしく思った。
続いて、一層深く沈んで、このようなこと総ては、単に、私は何て馬鹿なんでしょうと云って、それに答えられる何か優しい言葉を期待するような種類のことではなくて、自分の生活というものが、一画一画を鮮明につかまれて来ていないからであると思わざるを得なくなった。明確に、コンクリートに各モメントがつかまれていないから、時期的な推移がそれなりに作用して、昔は昔のように遠くなる。時間的に逆行した話題が出ると間誤つく、内容的にまごつく。
この自省は一つの大きい輪を描いて、自分がいくつかの問題の出たこの半年間に、何故受動的であったかということへの自問のところへ戻って来るものです。
私は、これまでのように、自分が箇々の問題にくっついて歩いていたのでは、何の意味もないと
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