邇オ時間あります、もっともそちらからのかえり、よそによる日は減るが。ちょびちょびでは身につかないし、読む吸収力が加速度に加わらないから、それは気をつけて居ります。オイゲン先生の終りの部につれて(第三篇)十八世紀の啓蒙家たちのこと、文学のことをもこれまでよりややまとまった形で学ぶことが出来て、大変愉快です。「永遠の理性」と考えられた(啓蒙家たちによって)ものの実質が、当時の進化しつつあった一定の層の悟性の理想化であり、その矛盾が、光輝ある発火を妙なところ、ナポレオンのポケットへもって行ったことなど、何と教えることが多いでしょう。
啓蒙家たちのことは、文学におけるヒューマニズムの問題のあったとき、いろいろな人がちょいちょいふれたが、真に彼等の理性の本質にふれたものは記憶にない。それはとりも直さず、それをなし得るだけの現代の理性らしい理性がないということです。オイゲン先生は傍ら十五世紀から十八世紀にかけてのヨーロッパ文学史を展望させつつ、予定通り火曜日頃に終ります。そしたら、この間云っていらしたのにとりかかりましょう。
キュリー夫人。私がエーヴの美学云々と云う表現で感じていたもの。バック
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