驍謔、な顔も可笑しくすることでしょうね。こみ上げて来るものを、それなりの言葉でましてや動作で表わされないのですものね。原っぱを歩きながら、自分の主観的な感情から一応はなれて、云われた言葉について考え、その真の意味を理解し、それを自分の心の裡にあるものとの関係で考えて、判断して、腹に入れる。それだけの精神的過程を常に経ます。それが原っぱを横切る間で終るときもあり、又バス、電車、そして欅の葉の落ちる道、家、二階、遂には床の中までつづくことさえある。
 手紙で率直にならざるを得ないと思います。言葉では時間さえないのだから。そして、生活を大切に思う心持は、そういう点でのひっこみ思案というか拘泥をはねとばして来ているのではないでしょうか。私の気持では、私たちの生活の全感情が公開的な本質だと感じられてもいます。うけとる方にとっての辛さは、やっぱりこんな小さい紙片一枚ということから主として生じるのでしょう。
 でも、いいわ。私は余りそういう点ではくよつかないで、生活の条件として大局からつかんで、とにかく掃除だの勉強だのを、元気に、熱心に、美しい単純さでやって行きます。そうすれば結果として、大小様々の
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