アとその価値とを知らないから、多くの人々は北條民雄のように、癩病《らいびょう》になって死と闘う心持から書いたものとか、砲弾がドンドン云っているところで書かれたものとかいうものに、変に感傷的に感動し、過重評価する一種の病的傾向に陥っている。人間感情の不具、ディフォーメーションを餌《え》さにしているような文学に対して、私の文学ぎらいはつのります。
 私がいつか書いた手紙の中に、自分の文学的技倆の不足を感じる程の生活内容ということをかきました。そのことと、こういう他面での私の所謂文学大きらいとは全く一致しているものなのです。強い羽搏きとつよい線と、しかも微に入り細を穿《うが》った諸現象の具象性をとらえ描きたい、そのために腕が足りないとそういう意味で。
 このことは、逆に見れば愈※[#二の字点、1−2−22]私の作家的志向は、はっきりして来たことなのだから、腕[#「腕」に傍点]のためにも仰云るような勉強は大切なことがよく判ります。職人的修錬の腕は元より問題外なのであるから。
「麦」については笑ってしまった。だって、読んで見て、樹を見て森を見ぬと私だって書いているのですもの。読まぬうちこそ情愛も
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