だが、この本を訳したひとは、人間の或瞬間に、全く自分の卑俗な便宜で、きっとこういうところを全く死枯させて自身の身のふりかたに役立てようとしたのでしょうね。丁度リアリズムの問題を、不具にしようとして人々が、バルザックについて書かれた手紙を、最低に読み直したように。
――○――
昨今の流行語の一つにこういうのがあります。十九世紀は分析、綜合の世紀であった。しかして今世紀は(ナチの如く)行動の世紀である。須《すべから》く世紀の子たれ。松・平・の一属。
こういう輩《やから》の、嘗ての勉強が、こういう箇処(自然科学が十八世紀は蒐集[#「蒐集」に傍点]の学、十九世紀がその整理[#「整理」に傍点]の学としての分析綜合の学として発展した云々)というようなところをアクロバットの跳ね台にしているのですね。成程。ローゼンベルグの「二十世紀の神話」が谷川の「日本の神話」の種の如きか。
おや、いつしかもう九時です。そろそろ腰を上げなければ。元ならこんな面白さを中途で切るなんて。巻を離し得ず、夜ふかしをすれば、さすがの私も、今では頂く言葉はもう見当がつきますからね。ではサヨーナラ。
二十七日。
きわめてつながり工合のよい、必然の興味で、家族のことをよみはじめました。これらの四冊の本は一組となっているようなもので、切りはなせないが、普通どの順序で読むのでしょう。空想を第一なのは、明かだが。次は哲学者ルードウィッヒについて、次に哲学について、そしてこの家族から、更に経済の面と、二冊になっている哲学の本へ移るのが一番わかり易いようですね。
著作が、全体的な叙述、更にその重要な部分部分についての深め・解説として展開されている過程は、真面目な仕事ぶりというものについて大いに教えるところがあります。所謂ジャーナリスティックな文筆との相違が益※[#二の字点、1−2−22]歴然として来る。こういう読書は適当の速度、量、一貫性で、次から次へと成長的にされる時、特に多くの収穫があることを感じます。(偶然の一冊は、何かを与えるにしろ、断片的で終りがちです。)そういう風に読むと、光が気持よく前後左右を照すような愉快があります。
二十八日。
きのうに比べてきょうは心軽やかにたのしく原っぱをかえって来ました。御自分で知っていらっしゃるでしょうか? この頃全体暖く流れているものの中でも特別に耀《かがや》く一寸したあなたの頭のうなずきがあるのを。私はそれを実に貪婪《どんらん》に吸い込む、自分への特別なおくりものとして。何分間かのエッセンスとして。明日までの糧食として。きのうは、そのおくりものがなくてかえりましたから。
――○――
この手紙は、これで一区切りにしましょうね。そして別にきょうお話した、私のまわりについてすこし細かに書きます。自分の気持では、私たちの家として、ここにいらっしゃる生活のように感じていても、やっぱり書いた方が猶はっきりするところもある訳ですもの。
会いに出ていらっしゃるにも、くたびれが感じられますか? きょうチラリとうかがって心配になった。私のために、毎日、すこし無理なときも歩いていらっしゃるのではないでしょうか。そんなことがあるのではないかしら。あなたが動くのが大儀に感じられるような時まで歩かせなくては、朝起きさえも出来ない程ではないのだから、本当にどうなのでしょう。ぶりかえしの性質をもっていたら、又絶対安静がよいのではないでしょうか。一番わるいときにも、歩かせてしまったのだから、実際にはおそすぎた気配りですが。いつも安心するような返事しかなさらないものだから、つい、それでいいように思う。呉々お大事に。暖い秋日和で、机の上の黄菊が匂うこと。
こんな詰った字をお読みになるの、窮屈のようではないのかしら。
十月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月二十八日 第六十六信
さて、この手紙はいろいろ周囲のことを主として。
友達と呼び得る範囲につきあっているのは栄さん夫婦、戸塚の夫妻、中野さんたちぐらいです。然し最後の一組は細君が劇関係故いろいろちがうし、何しろ世田ヶ谷故滅多に会わない。うちで御飯をたべるようなこと(互の家で)も一年にかぞえる位しかない。栄さんは、私たちのああいうこまごました本のこと、身のまわりのこと(私などはよごれた着物を洗って迄もらいました)日常生活の家事的なことまで、栄さん一流の智恵をかりてたすけられている、いろんな話も率直に、深い信頼をもって互にしている。文学の話もわかります、この頃はあのひと自身独特な小説をかいている位だから。
でも、文学についてその他について、あちらが受け身である、それは自然の結果。上落合の時代は、私はひとりぼっち家をもっていたから、毎日毎日世話になった
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