、うるさくて腹が立ってその癖滑稽で可愛い。何と可笑しなものでしょう、こういう日常の暮しがそれだけで初めであり終りである生活というのは! ではこの騒々しい中からの手紙を終ります。ああ島田もすっかり私の故郷になりました。うるさくて、きらいで、だが思うとふき出すようなことが沢山出来た。では又
七月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県徳山駅より(「徳山市毛利公邸桜の一部」の絵はがき)〕
十五日朝五時。今徳山駅でのりかえ六時十八分を待っているところ。売店があいたので一寸これをかきます。東海道が大雨で二日不通でしたからひどいこみようでした。東京駅では入場券を売らず、めいめい荷物をもって、ひどい押し合いでのります。十時にのれず、十時半に立って四時二十何分かにここよ。
七月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(はがき)〕
布団を受とりに参りますから又いつかのように、そちらに示すハガキをお出し下さい。そのハガキをもって受とれるように、どうぞ。
十五日
七月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月十六日 第三十六信
久しぶりにテーブルに向ってこれを書き出します。南の方から涼しい夜風が入って来て、すこし雨っぽい。どこかでホホホホと高く笑っている女の声がする。よく響くその声を自分で意識していることがはっきりと感じられて、変に華やかそうで却って空虚な感じを与える。
さて、私はきょうまだ一種の揺れている心持です。あながち長い間汽車にゆすられて来たからではなく。パチンコのゴム紐をつよく遠くひっぱればひっぱるほど、ひどい勢ではね戻って来るでしょう? 私の心持は、それに似た工合だったから。熱烈にとびかえり、ぴったりとよっても、まだその緊張の顫動《せんどう》はのこっているというわけなのです。顎のあたりや頬の横にひげのあるときは、これまでも二三度見ているのだけれども、そういう顔とその中に輝いている二つの眼は、しみついて迚も消えない。大事になすって下さい。本当に、本当に。凝っと横になっていらっしゃるような午後、暑い空気は単調に而もありあまる内容をもって重く流れるようでしょうが、その空気を徹して粒々となってその皮膚をとりかこみ撫で、尽きぬ物語をしているものがある。叫びさえもこもっている。呉々お元気に。
きのう一寸話の間で感じたのですが、島田の方が今日負債をもっていないという事実を、殆ど感じとして納得お出来になれない程のようですね。全くそれは無理ないかもしれません。あなたが物心おつきになってからはずっと激しい生活のつづきだったのですものね。この間島田からの手紙で書いたように、三十何年ぶりかなのだそうですもの。貴方にとって未知である条件が現在の島田の生活に生じている次第です。あの家の最悪の時期は一九三一年か二年、自動車を買う迄で、それからは二人の若い人たちが其々自分たちで車を使えることと、父上が御病気で、母さんが店を主としてやりくって手堅く内輪にやりつづけていらしたため、追々返済の時期に入り、昨年二月に大口の片が四年かかった揚句(交渉に)片づいてからは本年の四月を最後に全部かたがついたのだそうです。私たちの志もその役に些かは立ちましたそうです。今返すのは五十円ぐらいで折合うの一つだけだそうです。お父さんがそういう安心の裡で生涯をお終りになったということは、御当人のどんな安心であり又家のものの安心であるか、お母さんが、「おとうはんはフのええおひと」と仰云るわけがあるのです。ですからお母さんはお淋しいし生活も決して安心してはいられないながら、元から比べれば、これ程安気なことはなかったという現状でいらっしゃるのです。
店の肥料は田舎の経済事情の推移と、うちがかけとりの面倒さから貸をしないのとで本年などは、あの家はじまって以来の閑散さだそうです。トラックが毎日二つ一つは欠かさず仕事をしている。隆ちゃんが正月までやって、あとはお母さんのお手でやれる左官材料米塩タバコすこしの肥料という風にしていらっしゃれば、生活は少額の扶助料とともに、不安という程のことはおありなさいません。何とでもやって行くからこっちは心配しないでと仰云いますが、私たちの気持として何だかお母さんお一人放ってはおけないから多賀ちゃんの給料 \15 だけもつことにしたわけです。あなたはですから本当にそう可訝《けげん》そうになさらないでよいのです。貴方を安心させるために私がそんなことについて実際とちがう、よい面だけをとり立てていうようなことはあり得ないのですから。
今度は納得ゆきましたろうか。私が十五年も開成山に行かないでいるので庭から山々の宏大な眺望の代りに、放送局の塔を眺めることになると云われてもフウムと感服するが、どうも実感として来ない。きっとそうなのですね
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