けとりの下拵え。書き出しをこしらえていらっしゃる。外では麦のとりいれの最後でモーターの音がしきりにしてモミをとっています。
 私は本が面白くて我を忘れて沢山よんだ。西北地方の回教徒についての部分は、ニュース映画でばかり見ていて、はっきりしなかった待遇ぶりをすっかり明かにして実にためになりました。回教徒のモスクが東京のどこかに新たに建てられて、その教徒のための学校が別につくられたのですものね。いろいろ面白い。
 今度は、栄さん、戸塚の夫妻、てっちゃん、さち子さん、重治さん、徳さん、本橋さんそのほかからいろいろお供えをいただきました。お礼はちゃんと例の刷りものを出しておきましたから御安心下さい。
 暑いこと。お体はどうですか。熱が出たりしないでしょうか。大分気にかかります。
 二十九日
 隆ちゃんが車庫でタイアのパンクしたのを直している。七十何円かであったものが、この頃は百三十何円とかだそうです。大切に大切につかっている。一日のトラックの賃が(一日かしきり)三十五円だそうです。柳沢《ヤナザワ》といううちでもトラックをはじめる由です。達ちゃんは出征軍人だから、休車が出来る。(さもなければ三ヵ月で権利を失う由)隆ちゃんも入営すれば休車になさるそうです。人をやとっては、割に合わぬそうです。こちらの生活も、多賀ちゃんがいればよい、いなければいないでよいと仰云っています。私はお一人では心がかりだから十五円自分が出していて貰うつもりですが、野原との感情的いきさつは紛糾していて、私のような外からの者の心持、又気持の焦点の違ったものでは収拾がつきませんから、万事お母さんのお気にまかせます。多賀ちゃんがいなければ十六七の少年を置いたら、一寸した荷は動かせるし、活気があってよかろうとも云っていらっしゃいます。私はこれから本よみ。下から「お母さんも家業にせいを出していらっしゃるから私も家業をはじめましょう」と上って来たところ。きょうはもう麦の始末も終りモーターのブーブーいう音もしません。なかなかむし暑い。二階はやはり暑いものですね、夏は。
 三十日
 お母さんは只今徳山へ買ものにお出かけです。この間私たちがお伴をして行ったとき御|位牌《いはい》を注文なさったが、それが少々やすものすぎるので直させのためです。かえりに、おせんべのお土産があるでしょう。
 昨夜のニュースで、東京が大雨だと知り、こちらは一昨日から晴天つづきで、只夜ひやっこい東風が吹くだけだったので、いかにも東京から遠くはなれていることを感じました。きょうはお母さんも汗をおかきでしょうから早く湯をわかして私は髪を洗います。椿の実をつぶしたので。昔うちで椿の油をしぼったってね。徳さんが手紙をくれました。支那語をものにして来たので、面白い翻訳をしたそうです。いいものを身につけましたね。私の有益な読書は面白さにひかれて予定以上に進み、もう今日あすで終ります。沢山の真面目な話題があります。
 日本のアパートというのは、宿やのようなものね、ちっとも室即ち一軒の独立性がない。いくらでも管理人が留守にあける。同潤会でもそうらしい様子です。アパートメントとしての性質をはっきりもっているところは、一種の高級アパートメントで、これ又至って臭気がつよい。庶民的でなくて、飽きの来るセット式ハイカラーさが漲《みなぎ》っている。葱《ねぎ》をぶら下げて出入りなどすることが出来にくいように出来ている。アパートメント生活がもっと一般化して、もっとしゃんとするには やはりそれとしての歴史が入用なのでしょうね。現在のところではとかく長屋式、お目つけ式なものが混《まぜ》こぜになっている。江井のやりかたなど見るとよく分って興味があります。営業だからね。
 今月もきょうで終り。二日に四七日があり十日が五七日で御法事があります。百ヵ日まではこれで一段落ということになりましょう。今月の手紙はこれで終りにいたします。お体を呉々お大事に。誰でもこう急に暑くなると閉口ですから。隆ちゃんは午前中珍しく家にいます。では又

 七月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕

 七月四日  第三十四信
 毎年こんなに東海道山陽本線が梅雨期に度々不通になったでしょうか、ラジオのニュースをきいているとびっくりするほど今年はあっちこっち不通です。「雨並に水に関するニュース」という題で放送している。
 六日
 きょうはお父さんおかくれになってから丁度一ヵ月目になります。出征する人、送る人ぞろぞろと前の通りを通っている。隆ちゃん達は昨夜十二時すぎ室積から電話がかかって徳山から氷をつんで行ったのが、今午後三時前まだ戻らず。何でもサバが大漁で急に仕事が次々と出来ているのでしょう。夜中でも唄をうたいながら出かけて行った、二階から下りて行って、「熱いお茶でも飲
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