記の一番終りをあけて見る。1938 年の十二月三十一日は土曜日です。本年の元旦は土曜日であった。すると来年の元旦は日曜日で来年の一月二十三日は月曜日ということになる。ハハ。これはよろしい。では二十三日に出かけられる。ここで一日ずつあとへくって見ると、六年前のきょうは月曜日だったことが思い出されます。そして来年は七年目で又月曜日。つまらない、しかし私には一寸面白い算術。

 一月二十五日の午後。
 きょうも又晴れている。非常におだやかな天気。おとといのバラは八分開いて微かによい匂いを放っている。本を送る包みを二ヶこしらえて上へあがってこの手紙をつづけます。きのうは体の工合のよさそうなお顔付を見て本当にうれしくいい心持でした。便通は腹の調子を告げるばかりでなく全身の工合を語るから、それが苦情すくなければ何よりです。
 きのうは割合いろいろ聞いて頂けて、さっぱりした安心した気持です。あれから真直家へかえって、すっかりおなかをすかして、おそばをたべて一休みしに二階へあがろうとしたら、ひとが来て五時すぎてしまった。そのうち、ひさ[#「ひさ」に傍点]、戸塚へゆく時間で出かけいよいよ二階へ上ったら到頭十時まで一息に眠ってしまいました。ひさ[#「ひさ」に傍点]がかえる音で下へおりて、三十分ばかりいて、又あがって、二三時間おきていて又眠りつづけました。きょう、おだやかな天気を沁々[#「しみじみ」に傍点]感じる道理です。あああ眠ったと云う心持。この間うち体がこわばったりしていたのが大分ましになりました。
 きのうも簡単にお話したとおり、私は当分このままの生活をつづけます。今家賃は33[#「33」は縦中横]円です。がやはりこの周囲でももすこしやすい家でもあれば代ってもよい位の考えです。家賃だけを切りはなして考えても交通が不便では私の生活に全く無意味だから。この頃のタクシーの価はあなたの御存じの時分より倍は高くなりました。銀座から目白まで雨だと一円以下では来ません。夜淋しすぎるところに住んだり林町のように億劫《おっくう》なところに居ると忽ち車代がびっくりするようになる。林町には空気全体がいやです。Sの、チェホフの小説の中にでも出て来るような人生の目的なさそのもののようなピアノの断片をしかも永い間聞くだけでも辛棒出来そうもないから。この二十八日には、父の胸像を(北村西望氏作)建築学会の中條精
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