謔チた。
 これらのほか、若い女のひとたちが何人か新しく環内に入って来ている。ずーっと眺めかえすと、主な糸はやはり三、四本ですね。
 てっちゃんの結婚は、てっちゃん流で、友人の誰もよばれず。独特にやっている。旦那さん二階で御勉強、細君は下でコトコト働く。「清子さんの趣味は何?」「サア、働くことでしょうか」そういう工合でやっているし、これからやってゆくでしょう。あの人はそれで落付けるのです。そういう種類で初めて落付ける。そうらしい。家はまだ一度も訪ねず。
 徳さんが戻る迄は、歌子さんも折々見えました。この頃はもう安心して、たんのうして、忙しく勤めていて見えませんが。製本して貰う女のひとなども去年の秋ごろからの知人。動坂の家へ遊びに来ていたような親娘のひとたち、まるで会わない。メイソーさん二度ぐらい会ったきり。細君はまだ。コヤさんは結婚したとききましたが(メイソーさんから)やっぱり知らず。会いそうな人が却って会わないのは、いろいろと面白い。母娘さんたち、私は大して会いたくもないが。人々のうつり変りの中で、思い出す毎に切ない気のするのは、詩人の細君が、消息不明なことです。どこかへどんな男かと消えた。可哀相に。何も分らないひとだから。
 さて、余り長くなるといけないから、これで一区切り。この頃は大変風邪が流行《はや》ったそうです。喉が痛いと合本もって来た女のひとも云っていました。きょうは、でも本当におそい秋らしい。青空の前に鋼色の欅の梢が奇麗です。この二階はすてがたい眺望あり。では又。

 十一月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十一月八日  第七十信
 智恵子さんがなくなった通知のハガキを貰ったのは六日(日曜日)の午後八時ごろでした。ああ、到頭と思い、すぐ出かけてお通夜をしようと思った。けれども、まざまざと、最後に会ったときの体も心も実に苦しげであった様子、心の底までうちあけたくて、しかも自身の愛情の誇りのためにとりみだすまいとしている懸命さ、その力一杯だった顔が浮んで、私が行ったら、本当に寝ていてももう一ぺん生きて来て、「ね、私到頭死んじゃったのよ」と云いそうで、迚も横えられてあるようなところへ行けなかった。そう一言云ってホッとしたいためにだけでも、もう一遍おき上って来たそうで。この十ヵ月間の溜息をしん[#「しん」に傍点]からつくために。
 この七年の
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