フ講演をする由です。ギリシア文学の知識で、この人は欧州人にわかる方法で世阿弥を説明するのでしょう。ギリシア古典悲劇の様式と、能とはその独唱とコーラスと身振り的舞踊において非常に共通している。観念ではなく、様式で。ギリシアのは、合唱で、主人公の運命に対する哲学、客観的観察(判断)とでもいうようなものを表現している風です。
そんな、私も常識としているところをもっと広く、且つこまかに話すのでしょう。息子が交換学生として行っているイタリーにもゆき、ギリシアもまわって来て、かえりはアメリカを通る由。朝四時ごろJOAKから国際放送をしたりして活動です。
九月二十一日に、つづきをかいて出そうとしたところ、羽織紐のことについて、ちがったように書いておいたので、きょう、二十三日書き直し。
今、貴方へのフランネルねまきとおこしの小包をこしらえて、出させてやって、羽織をはおって二階へ上って来たところ。今年はじめての羽織です。秋のうつりかわりは春から夏へのときとはちがって、こちらでも心元ない。夜着のこと、先にもそういうことがあったので又さっきかえる前、確めて訊いて見たら、十月に入らなければ入れない。どういうのかくわしく判らないが、そうです。十月に入らなければ衣類のセルも夜着も入らない。肌寒い方へ向うときは、こういうことで何だか落付きませんね。早く十月になってしまえばいいと思う。フランネルや羽織で、調子をとっていらして下さい。
二十日には、そこからのかえり、雨中を渡辺町へまわり、買物に一緒に出かけ、かえりかけたら漱石の未亡人というひとに出会いました。古風なひさし髪に一糸乱れず結び上げ、りゅうとしたお召、縫いのある黒地の帯、小柄だががっちりとみが入った風采《ふうさい》。金の儲かる役人の奥君という風格で、漱石の作品にあらわれている妻君の反映や鏡子述「漱石の思い出」、松岡とのことその他思い合わせ、いかにもとうなずける様子です。長男が、中学の三四年生のとき、お出入りのいんちき音楽師に大天才とおだてられ、※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ァイオリンの修業にドイツに出かけました。いんちき士が、お伴にくっついて行こう魂丹[#「丹」に「ママ」の注記]であったらしいが、それは実現せず、若い息子だけが行った。が、行って見ると、元より上手に弾く日本少年の※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ァイオリン
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