まそうか?」ときいたら「イイエよろしうあります」と云って、そして歌を小声でうたい乍ら出かけて行きました。如何にも若い者らしくて云うに云えない美しさがありました。きょうも暑い。
きのうと先刻まで、私は徳山から買って来た巻紙と封筒とで三十五日の忌あけの礼手紙を書きました。もうこちらに居るのも一週間ほどになりました。あともう一通手紙を書くと島田からの分は終り。
お体はどうかしら。大丈夫ですか? 凌ぎにくくむしている。余りむすので一層大汗をかこうと大童《おおわらわ》で火夫をやったり何かしています。京都神戸雨の水害あり、こっちもグズグズの天気でそれかと云って降らずにむしている。仏様のお花がいるのとすこし暇がお出来になったのとで、裏に小さい花畑が出来そうです。多賀ちゃんが好き且つ上手です。
たか子氏の「南部鉄瓶工」をよんで実に感じるところあり。文学の批評が作品の世界に十分ふれて語らなくなってから、生活そのものが何と盲目に流されて行くことでしょう。強力に流されつつ文学がフラフラついてその旗をふりつつ、歴史は更に複雑な多難な方へと内容づけられて行っている。自身の経験の裡からでなければ成長しないとしても、その経験たるや実に独特の細部をもって居り且つ深刻です。日本の文学が世界の文学の中に占める意味の深さを考えます。現実は古きもの新しきものが実に高度に結合されている。林語堂『我が国わが民族』の著者(これもかえったらお送りして見ましょう)が、自分の方の生活とこっちの生活を比べてこっちが一定の方向への一枝石だと云っているのも面白うございます。
私はこの間うちの勉強から非常に興味あるヒントを得て、大変貴方と喋って見たい。文学としては農民文学の問題ですが。現代の日本の農民文学というものは、和田伝の「沃土」などではどんな価値ある題材をとり落しているかというような点です。昔研究された条件より実に大飛躍をして居る農村の性質=大河内さんの工業化や組合化の有様、世界の有様と比べてそれを眺め渡した姿など。借金を背負っているということは、例えばTさんの暮しについておよこしになったような方向へも行き得るのでね。一代をそれで終ることが珍しくはないのです。
借金と云えば、この間うちのいろいろな借金の束を見せていただいて私たちは「これだけあれば家宝ですよ」と大笑いしました。お母さんは借金なしという生活はこの
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