のまま木版にして検印用の印をつくった。
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 一月十八日(消印) 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(はがき)〕

 此度左記へ転居致しましたから御通知申上げます。
  一九三七年一月
    東京市豊島区目白三丁目三五七〇
                   中條百合子

 一月二十八日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕

 一月二十八日。第二十八信。薄晴れ。火鉢のない正午四十二度。
 一月の二十三日に是非お目にかかりたいと思っていたところ、その日は土曜日で時間が間に合わず残念をいたしました。二十五日のときは、大変いろいろもっと伺いたいことがあったのに、話している心持が中断されたままであったので、今日でもまだ何だか、いつものこれ迄のようにいい心持でない。きっと貴方の方もそうでいらっしゃるでしょう。とにかくお風呂に入れるようにおなりになったことはうれしい。さぞ久しぶりのときはいい心持だったでしょう。湯上りに、水でかたくしぼった手拭《てぬぐい》で、きつく体を拭くこと。風邪よけに。
 ところで。私の本年に入ってからの手紙は一月八日に林町から第二十六信を出し、十五日頃この家に引越した印刷のハガキをさしあげ、十六日には、あなたの一月六日のお手紙と十二月二十六日のお手紙に答える手紙を目白の家から出して居ります。そのうち、どの分が届いているのでしょう。八日のは御覧になったでしょう? 十六日のは? この手紙がつく頃はもちろんおよみになっていると思います。
 ◎差入れのこと。忙しくて手がまわりかねていることはありません。申したように、その手紙をかいた時、何かいそいで書くものとかち合っていそがしい気がしたのできっとそう書いたのでしょう。どうか御心配はなさらないで。それに、私は貴方への手紙をそのときのいろんな心持を率直に書いているから、そんなこともかいたのでしょう。貴方は、又こんなことを云っていると、笑っていらっしゃればいいのよ。
 ◎夜具の白いキャラコ衿《えり》は寿江が伺って来たので、歳末にタオル二本と一緒に中川から入れさせるようにしておいたのでしたが、まだ届かなかった由。とりまぎれたのでしょう。調べて居ります。
 ◎本は、『リカアド』などと一緒に御注文のは、私が上林へいたときあっちへ下すった手紙の分です。小説に気をとられて、失礼。早速お送りします。戸台さんにきのうたのみ、四、五日で来ましょう。
 そろそろ本をおよみになるのだから、この次のたよりには、すっかり本の整理をして、お送りしましょう、書いてよこして下すった分、入れた分と、私はどっちかというと事務的にゆかず、すみませんが、然し、私がそちらに必要なものについて抱いている気持など、云うまでもないことなのだし、よろこびをもってしていることも云えば滑稽《こっけい》な位のことなのだし、マア折々御辛抱下さい。ああ、私は、ユリは間抜けだね、と云われることも時と場合では本当に大歓迎なのだから。非常に快適な雨の粒のようなのだから。
 ◎玉子のこと、サンドウィッチのこと、申しておきました。すみません、すみませんと云っていました。
 それから、一番もっと伺いたくて中途半端になっていたXのこと。貴方のお手紙で、きっといろいろ私によく分るだろうと楽しみにして居りますが、お話しの要点は、私にも分りました。Xの生活を助けてやるのはよいが、一つ家にいて、そこへDさんが良人としての資格で来ることについてあなたのお感じになる心持。
 簡単にいきさつを辿ると、XとDさんとの間にそういう感情のいきさつのあったことも、まして、結婚の意志があることも、私には全く告げられず、只歳末に近づいて、Xへの送金が農村の大不況のため途絶した、困った、どうしたらいいでしょうと云うことでした。一方、林町の家は改築する[自注5]のでいずれ私はどこかへ移る必要がある、では、私と一緒に暮して見るか? それに越したことはない。そういう話で、その話がきまっても、まだ彼女は私に自身の事情については黙って居りました。殆んど家がきまってからRさんが稲ちゃんに困ったと云って話し、稲ちゃんがXに、私に話すべきであると教え、Xはやっと話した。それで私はその時少し腹を立てたのでした、当然。
 ところが、Dさんの方は、家庭がああいう事情でおっかさん達はこのことをよろこんでいない。CちゃんがよくなってRさんと暮せるまで、Xは一緒に暮せない。皆弱くて、働けないのだから。
 DさんとXの心持については、私達周囲のものの腹の底は、あまり周囲から刺戟せず、時の自然な力で発展するものならさせ、さもないものならそれもよしという気持です。そういう印象を与えるのです、二人という人々が。性格や何かの点。
 Dさんは頻繁《ひんぱん》にここへ来ることはない。普通の友人として一週一度ぐらい来て、かえった、少くともこれまでは。Zさんの心持を、この間、それとは別に一寸訊いたのですが、あのひとはXに対して、別にどう思っていず、適当な結婚をしたらよいと思う、又対手のひとが、自分とのことに拘泥したりする必要のない程自分たちの結合は時間的に短かかったし、内容がない、という事です。
 こういうことは私とすれば何だか変なところがある。そんなものであるのか、あってよいのだろうか。そういう気がする。だが、あのひとはそれでよいらしい。私が改めてそういうことについてキッチリしようとするのが寧《むし》ろ分らなかった。二十五日に、貴方のおっしゃったのは深い友情の言葉でした。
 私としては、彼《あ》のひとが、貴方の友情のねうちを深くかみしめることが出来るか出来ないかが問題でなく、対手はどうであろうと、貴方のお気持を私たちの家庭生活の裡では貫徹しなければいやです。
 あなたが快くなく思いになるような風に私たちの家があってはならないし、又そんな家のある意味もない。私の心持お分りになるでしょう。
 今丁度別に手つだいをさがしかけていたところであったから、それが見つかったら、Xは別に住むように考えましょう。何か少しでも収入のある仕事を見つけて。そして、別に一つ部屋をもたそう。ちょいちょいしたことで手伝って貰うとしても。それから、私たちのところにいるうちは、Dさんは従前どおり普通の友人として来て、かえって貰いましょう。そういうやりかたはどうかしら。二十五日に、私はどちらかと云うと、何だか苦しい心持で帰ったの。途々《みちみち》いろいろ考えて。こんなに、貴方の心持を重く見て、自分の心持の中に入れて暮して居るのに、そういうことで貴方を不快にさせたのは実に実に残念であるから。そして、貴方が、自分の家が、変にもつれの間に入っているようにお思いになったらさぞいやだろうと。そういうことを考える必要の起ったのは何しろ、五年の間に初めてでしたからね。参ってしまった。
 私が自分たちの家をもつのは、林町の生活に対して図式的に考えているからではなく、実際の必要です。一つの家に、二人の主人が居ては主婦が困るのだから。Xのことは別としても、私たちの家はここに持ちつづけます。私は、貴方の心持を考えたら、あの夜でもXに部屋借りさせようかと思ったが、それも激しすぎるから、と、新しいプランを話しただけにしておきました。けれども、貴方のお心持によっては、すぐそのように計らってもようございます。私が生活費をもってやる覚悟なら今すぐにでも出来ることなのだから。どうか御返事を下さい。私の生活なんか、そこで貴方がいやだと思っていらっしゃると思うと全く光彩を失ってしまうのだから。
 子供らしい人々は、貴方に対して書く手紙のなかで甘えているのね。そして、あなたへの親密さの一層の表現として、私がどうしたというようなことを誇張的に表現するのね。そう書くことで、あなたへの親愛を更に内容づけるように感じて。大人の年をして、子供っぽい感情のふるまいをすることは、はたの迷惑ですね。ともかく、この手紙は話さねばならない事柄の性質上、大して愉快でないのはくちおしいことです。でも、大体のこと分っていただけるでしょうか。この手紙の任務は其なのですが。只今ネルのお腰を速達で出します。呉々もお大切に、寒中だから。

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[自注5]林町の家は改築する――林町の家の改築は実現しなかった。
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 一月三十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕

 一月三十一日。第二十九信
 二十八日に第二十八信を書き、引つづきこれをかきます。先便の主な内容であったことが変って来たので。XとDさんとのことは、初めから、私共はたで何だか合点ゆかぬものあり、又、あっちの家庭関係では、どうしても折合ず、困難であったが、Dさんが昨日Xに自分が軽率であったこと、阿母さんのXがどうしても嫌な心持は彼にも反映すること、一緒に生活しようとする計画は絶望であること、XはXとしての生活を立てるようにとなど話した由。
 Dさんの家庭とXは久しい以前から知っていて、その私の知らなかった時代にXは、善意からであろうが、智恵ちゃんや阿母さんとして忘られぬ深刻な打撃を与えていて(療病に関し)迚《とて》も妥協の見込みないわけなのだそうです。
 僅か一二ヵ月の間に自分達のみならず周囲にも浅からぬ波を立て。軽率であったという言葉以上のようなものです。
 私の心持では、斯様のこと、分るようで分りかねるところがある。どんな気持で人生を見て、自分の一生を見ているのか。生活をよくして行こうとする意志とか努力とか知っていて、云っている人でも、何だか釘のない組立てもののような工合で。実に変な気がします。私としては其那ことで貴方のところへまで或心持を波及させられ、腹立たしい気がします。
 然し、おかしいことには、私のそういう腹立たしさの深さなどは又一向通じて居らぬのだから。親切な心をもっている人間をも、その親切に限界をつくらせ、親身にさせる度合いをうすくする人というものがある。
 とにかく、そういう工合で、彼の人達の交渉の内容はすっかり変った次第です。従って貴方が不快にお思いになる点は自然消滅してしまった。勿論、このこと全体が、浅はかな、衝動的な、愉快ではないことですが。
 Xが、何かちゃんとした職業をもつようにすることは同じです。人間として拵え上げる上にももっと人間を知り、その中にいるのが必要です。
 親がないとか、体がよわいとか、そういうことを特殊な条件として、時代的関係もあって、不運から却って依存的に生きて来たという人間は、女になど多いのですね。Xはもっと一人前の女、人間になる必要がある。今度のことについては五分五分ですが。
 もう私たちの間に、こういうことについてこういう種類の手紙を書くことは終りです。
    ――○――
 二月の『文芸』や『文芸春秋』に書いた評論「迷いの末は」(横光の「厨房日記」の評)「ジイドとプラウダの批評」等、私として云うべきことを納得ゆくように云うことが出来て近来での成功でした。随筆集の題は「昼夜随筆」です。
 竹村から別に小説集が出て、これは「乳房」を表題にします。「昼夜随筆」の方は寿江子が表紙を描きました。雨の日、女が子供をおぶって傘をさし乍らもう一本手に黒い毛襦子のコウモリをもって待っているところ。スケッチです。「乳房」の方は竹村の主人が装幀して名の字をかくだけです。
 文学の領域にもこの頃は人情ごのみでね。横光氏曰ク「義理人情の前に無になる覚悟が必要云々」と。こういう作家は「人情としては実に忍び難いが云々」と云って人情を轢殺《れきさつ》して過ぎる人生の現実に芸術のインスピレーションを感ぜぬものと見える。小林秀雄、保田与重郎、等の日本ロマンチストたち。私はこの次からもっと心持のよい、いいもの私たちの便りらしい手紙を書くことが出来るのを非常に楽しみにして居ります。今のこのXらのやりかた、人間のそういう面について腹の立っている心持も直って。では又。風が出て来ました。

 二月六日朝 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕

 二月五日 
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