ォの私の心持、おわかりになるでしょう? もし貴方がわきにいらしたらどんな顔をなさるだろうと、あなたの独特な一種の表情を思い浮べ、微笑も禁じ得ず。但しこれはひとりになってのとき。
私はこっちの地方と東北の田舎とを比べ、事毎におどろきます経済的な点で。みんな女のひとなど都会風の装《なり》。一寸出かけるにもよいなりをして、私なんか質素です。そういうこともおどろきます。中学生は在郷軍人の服と同じ色の服、キショウだけちがう。女学生は大抵東京と同じセイラアです。野原にゆくとき虹ヶ浜にまわりました。春陽駘蕩《しゅんようたいとう》たりという景色で、あの家[自注12]には人が住んでいました。下松《くだまつ》には日本石油、その他工場が近頃の景気で活動して居り、江の浦のドックにはウラジオからも船が入ります。そこの職工さんたちの住居払底で、虹ヶ浜の小さい家はこの頃よくふさがっているのだそうです。島田の高山(呉服屋の隣り)は石油とギャソリン専売権をもって居り、うちは多くそこの仕事をする模様です。今度ガソリン一ガロンにつき五銭価上り、一カン二十五銭高。うちの車は一日に一カン位入用の由です。運賃を今のままでは引合わないという話がでています。うちの車庫は、店のとなりの方。もと製材のあったところを車庫にして、となりを木炭倉にしてある。きのうその辺をみていたら、店の前で近所の女の人たちがお母さんと私をつかまえ、かどぐち社交がはじまって、くすぐったかった。ここは全く小さい町気質ですね。言葉にしろ。河村さんの娘が高森の写真屋に嫁《かた》づいたのでその写真やに六日に来て貰って、ここの一族、野原の皆が写真をとります。そしたらお目にかけましょうね。
汽車の音は賑やかなものと思っていたら、この辺は小駅であるから一種寂しい心持を与える。汽笛が山々に谺《こだま》する。ギギー・ゴトン貨車の音など特に。少年のあなたはその響をどんな心持でおききになったろうと思います。きりなしだからこれでおやめ。
〔原稿用紙に書いてある手紙の欄外に〕
ここに暮していると小説的な風に感情が押される。
こっちの風景は明媚《めいび》であるけれども、景色そのものが自身で飽和している。そこから或るつまらなさ。北方の荒涼として情熱的なところがない。それでいてこの辺は乾いている。
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[自注11]組合――隣組のような町内の組合。
[自注12]あの家――顕治が学生時代夏をすごした家。
[#ここで字下げ終わり]
四月十日夕 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
四月十日 午後 暖い晴天。島田からの一番終りの手紙(第五)
私は五日頃かえるように云っていたからもうこちらへは手紙を下さらないのかもしれない。店で、お母さんがあなたに上げるとおっしゃる肌襦袢を縫っていると、「ユービン」と云って河村さんへ自転車にのった若者が何か入れてゆくのが見えました。河村さんに郵便が来てこっちに来ないのは大変不思議に思えた。そして、又縫っていたら河村さんの細君がキビの餅をもって来てくれ、達・隆はそれを頬ばって仕事に出てゆきました。
この河村さんの娘が結婚している写真屋さんに来て貰って、二三日後一家全員で写真をとり、大さわぎでした。あなたにお目にかけるために。七日に、背戸《せど》を見晴すガラス戸が出来上り、大満足です。二尺三寸の一枚ガラスをはめたから雨の日も外が床の中から見えます。きのうは、金物屋のおくさんが字を書いて呉れということでした。夜は、おかあさんが、私をつれ、三越から届けさせたタオル三枚入りの小箱をもって、近所にあいさつにまわりました。「よいお日和《ひより》でございます。あの、これが顕治の嫁でござります、どうかよろしく。日頃御厄介になっちょりますから今度見舞いに参りましたについて、一寸お物申したいと云って居りますから」云々。そうすると、私が「どうぞよろしく」とおじぎするの、お母さん大安心の御様子でお店の敷居を跨《また》ぎつつ「サア、こうしておけばもうおおっぴらにお歩きさんし」
おじぎをするとき私は大変お嫁[#「お嫁」に傍点]のような気が致しました。
きょうは蓬《よもぎ》つみに島田川のせまい川辺へ行きました。橋(フミ切りのところ)で達ちゃん達がそのときはトラックを洗っていました。その道で荒神さんの高いところにものぼりました。その石の段のところに野生のわすれな草が咲いて居た。勿忘草《わすれなぐさ》など通俗めいているけれどもああいうところであなたは子供の時お遊びになったのでしょう? 何だかそれこれ思ったら子供らしい愛らしさがあって、その花をつまみました。今押してあるから出来たら又お目にかけましょう。島田川の白菫《しろすみれ》も。皆、実に自然主義文学以前の、日本的ロマンティシズムの素材で
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