窓」の絵はがき)〕

 十一月二十一日の朝七時すぎ。
 きのう午後二時頃からかかって小説を今かき終ったところ。二十五枚。「二人いるとき」という題。大変なリリシズムでしょう、お察し下さい。内容はリアリスティックですから御安心下さい。この絵は実物はもっともっと新鮮です。一枚五銭でこの物価の時代、色彩の活きたエハガキは無理なことです。これからねるところ。

 十一月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十一月二十二日 曇  第三十八信
 若い女のひとのための読書案内をするために、最近出たフランスの或女仕立屋の書いたものをよんでいます。そして、その間の一寸したお喋りを。
 この本を買うためにさっき外へ出かけ、途中で例のあなたの時計を修繕にやりました。懐中時計。もう動かなくなっているので。そしたら油がきれてゴミが入ってしまっている由。「きかいは割合よろしゅうございます」「買ったらいくら位です?」「今でしたら十円出ましょう」その位のもの? そしてこれかしら、いつかお母さんが洋服と時計を買った(『改造』の当選)といっていらしったの。とにかく又動くようになるのは大変うれしい。留金ばっかり金の可笑しい時計!
 一昨日からきのうの朝にかけて、ひどく馬力をかけたので疲れが出ている。昨夜は重治さん来て夕飯をたべて、いろんな仕事の話をして愉快。
 この夏からこの間までの私の切なかった心持など話しました。丁度、もろい崖から落ちかかっている人が、手の先の力に全身をかけながらじりじりと、もっと堅いしっかりした地質のところへまで体をひき上げて来ようとしている、もろい土のくずれてゆくのと、手の力の持久力と、その全くのろい而も全力的な努力が必要とする時間と、それらのかね合いがどうなるだろう。実に見ていてたまらない。しかも見ているしかないという事情。日夜背中のどこかに力が入っていて、心にゆとりがなくて、実にひどかった。今は何か本当に体をのばしてつっぷしてほーっとするような気持がしています。あなたの今の体のお工合と、そのたっぷりした心持とを感じながら、ああえらかった、と顔の汗を手のひらでぶるんとするような心持。そして、私は今はまあ一寸、こういう心持をも喋って、気をほぐしてよろこばしさと新鮮な感覚とに身をまかせたい心持。
 いつかの冬、あなたは春のようだね、春のようだね、と云っていらしたことがあった。覚えていらっしゃるかしら、歩きながら。
 今年の冬、私たちは冬をそういうような底流れの感情ですごすのではないでしょうか。今年私たちのまる五年目の生活は随分はりつめたものでしたね。肉体の強靱さと精神の均衡というものは何と微妙でしょう。一本橋をわたるとき、落ちやしまいか、落ちたらこわい、という恐怖が足をすべらせる。そしてそれと反対のもの。私は、扇をひらいて褒《ほ》めて上げたいと思う。もとより当然のことではあるけれども。あなたをとり戻したという感じ。そのはっきりしたあなたの姿が打って来る感じ、その感動がどんなだか本当に、本当におわかりになるだろうか。
 夜なかに霜がおりて、朝とけ、夜月がさして木の葉がおちているように、そういう絶間ない営みで生活力をたかめて行きましょう。すっかり新しいしっかりした地べたのところまで出切りましょう。うれしさから涙をこぼしながら笑って、或責任と義務の自覚による意力からだけ自分がやっぱり生きて行かなければならないものかと思うことは、殆ど堪え難かったと、今話すことの出来るのは何と笑える、そして又涙の出る心持でしょう。これを云ってしまえば私のくつろぎも底をついた形ですね。では又。呉々も大切に。決して今までの周密さを御自分の体に対してゆるめないで下さい。

 十一月二十五日夕 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十一月二十四日  第三十九信、
 きのう、夕飯後十枚ばかり「若い婦人のための書棚」をかいて、終ってお風呂に入ったばかりのところへ「光子さんがいらっしゃいました」「どの」「岩松さん」絵かきの光子が来た。雨が降っていて十時半頃で、さては神戸から出奔して来たかと思ったら(夫婦ゲンカをやっていたから)そうではなくて、一水会という石井柏亭や安井曾太郎のやっている会へ絵をもって来たのでした。夜、二時頃までいろいろ絵や文学や女の生活の話をして、けさおそくおきてかえった。月末までいるというので、私は自分の大好きな動坂の家のスケッチと、本郷の或高台、一方は長いコンクリート塀になっていて、ずっと遠く小石川を見晴す風変りな道のスケッチ、をして貰うことにしました。私の勉強している部屋にこういう可愛らしい都会の隅々の絵があったらどんなにうれしいでしょう。大変たのしみです。其にしても光子は、自分の絵の道具をもって来ないとはけしからぬ。かりにも十日ばかり
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