チたのは六時。稲ちゃんのところで夕飯の御ちそうになり。ぶらりと時々山や野原を歩くことの必要をしみじみ感じました。少くとも稲や私には実に必要です。くたびれは大したことなかったけれども、眠ったら夢を見ました。シンプソン夫人の旦那様が三越で女の振袖を買っているところでした。
二十七日に渡す原稿を終ってお目にかかりにゆきます。M子、体がもたないので社を一週に二三度出ることにして、原稿だけ送るようにしました。月給は、きょう貰って来るのだが、二十円ならいい方。食えない。うちで食わす。食わすことに異議はないが、私の心持にはそれ以外の重みがかかってこまるから、何とかしたいと考え中です。
掛布団の工合はいかがでしょう。島田へは、もし達ちゃんが召集されると、それからでは間に合わないから、真綿でこしらえたチョッキと毛糸の靴下二つ送りました。お母さんが召すために長襦袢の布。あなたの腹巻のための毛糸、そして明日あたりお母さんに、あなたがこの冬かけていらした夜着をつくり直してお送りします。お母さんは達ちゃんに軟かい夜具をきさせて御自分は私が称して石ブトンというのをつかっていらっしゃる。この冬はお体もすこし疲れが出ていらっしゃるからすこしは軽い思いをなさる必要があります。夜中に二三回お父さんの御用でお起きになるし。隆ちゃんがとなりに寝てあげています。
名画エハガキはつきましょうか。輸入禁止になるので特別にお目にかけたくてお送りしたのですが。では又お目にかかって。きょうはまだ眠たい、大体この頃眠たくて。あなたもよくおよれますか
十月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月二十九日 第三十四信
きょうは暖い天気です。天気が暖いばかりでなく暖い。体の内に何とも云えない暖かさと安らかさとがある。こういう気持、何と久しぶりでしょう。
きのうはあれからかえって、お昼をたべて、それからお客に会って、眠りました。朝あの時間にゆくためには、前晩おそいといつも眠い。(前の日に『婦人公論』へ刻々の課題という女のきょうの生きかたについて書いたので)目がさめたら五時。五時半から中央公論の故瀧田樗蔭十三回忌あり。私も発起人の一人。ゆこうかゆくまいか。紋付着て帯しめて苦しい。それでも決心して出かけました。徳富蘇峰、桑木厳翼、如是閑その他という顔ぶれ、作家では秋声、白鳥、春夫、※[#「弓+享」、第3水準1−84−22]、久米など。女の方では瀧田さん時代の人俊子、千代、私、時雨など。いかにも東京会館向なり。蘇峰、如是閑、しきりに瀧田の思い出のなかに私の名を引き合いに出し、何だかてれてしまった。何も瀧田の人物鑑定眼を裏づけるに私だけをとり立てて云うには当らないのですからね。好意からとわかっているだけてれくさかった。
かえりに俊子さんのところに一寸よって喋って、十二時になると円タクの流しがなくなりガレージから反対の方角に行くときは猛烈な価になるのであわててかえって来ました。
ところで、うちのおひさ君、きのう日向に自分のふとんを干しました。ポンポコになっているのをかついで二階から降りてゆくから、おひささん、そのふとんで今夜早くグースーねるの考えるとうれしいだろう? と云ったら、ええ、うれしくて黙って居たいようだ、と云った。何という感情表現でしょう。実にその気持端的にわかる。私は非常に感服しました。
きょうはこれから勉強して、来るべき文学について何か書く。これは一口に云えぬ題です。文学に近頃場所をとりはじめているルポルタージュというもののリアリティーが来るべき時代の目でどう見られるか、又ルポルタージュの真価とリアリスムの問題もあり、そのことをすこしつきつめて見て見たいと思います。ルポルタージュというのは若干の地方色と抽象名詞の羅列ではない筈のものですから。直さんなどこの理解に於て房雄君と全く同じである。
九月一日の『ダイヤモンド』明日お送りします 松山さんの絵の本も。松山さんは満州旅行をしてスケッチをいくつか描き須山計一さんと展覧会をしました。私は月賦でチチハル辺の醤油屋の店をかいた30[#「30」は縦中横]円の六号をとり、今机の右手の壁にかけてあります。松山さんまだ下手です。それでも好意のもてる絵で、眺めて感じる親しい未熟さ(技術上の)が何だか却って私を自分の仕事に努力させるような面白さがあります。画面に雰囲気を出すということは何とむずかしいのでしょうね。それにこの画家はそういう点では角度がまだ鋭くない。性格的にも。松山さんは人物をもっと勉強して私を描きたいのだって。私もいやではないが、私の生きている歓びと苦しさの綯《な》い交った光輝というような核心的なものが、現在の腕ではつかまるまい。単純にしっかりさ[#「しっかりさ」に傍点]などと抽出されたらまった
前へ
次へ
全59ページ中48ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング