トもいただきたいと思って。
林町の連中には、私がかえってからまだ会いません。あっちが国府津へ行って居たので。太郎にお母さんが下さった大きなコマをもって近々出かけます。栄さんは「大根《ダイコ》っ菜《パア》」という子供を主題した独得の小説をかきました。これは面白い。稲ちゃんは地方新聞に長篇をかいています。これもよい修業です。M子は毎日よく働いて月給四十円になりました。うちで御飯をたべている。
この頃、二階の北の小窓から見ると欅《けやき》の若葉が美しくて、美しくて。新緑の美しさは花以上です。お体は大丈夫なのでしょう? 近いうち、活々とした初夏の模様の手拭とすがすがしいシャボンをさしあげます。それらのものはここで新緑をうつしている皮膚の上にも。
仕事をすましたらお目にかかりに行きます。
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[自注13]お久さん――埋橋久子。信州の人、目白の家で三年間位百合子とともに暮した。
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五月六日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(外国風景の絵はがき)〕
五月六日。何というひどい風が吹いたことでしょう。きのう「山本有三氏の境地」三十九枚ばかり終り。本気で書いた。お体はいかがですか。私はこの二日ばかり前から一日二ヶのリンゴを励行しはじめました。一日に二つリンゴをたべて二年経つと体が変る。それほどよい。私はそれをやる決心をしたのです。努力して継続するつもりです。貴方もおやりになってはどうかしら。
五月十六日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕
五月十六日 日曜日 第十四信
きのうの朝九時頃目がさめて下へ来て長火鉢の前のテーブルへ来ている手紙を見て行ったら、ハトロン封筒があり。おとといのお話で少くとももう二三日は先と思っていたのでうれしく、何だか案外早かったように感じられたが、落付いて見れば、書かれたのは七日なのですものね。
あの日、お目にかかって外へ出たら雨になっていました。そこで私は傘と一緒に持っていた黒いフクサ包から別の下駄を出して、草履をしまって、玉子のことや何か云いつけて、珍しく戸塚へゆきました。二階の大掃除をやって古雑誌が出た、面白いものが出ている。長椅子の上にのっかっていろいろ話し、御飯を食べ、それからフラフラ散歩して新宿へ出たら、丁度時間があったので「裸の町」という文芸映画を2/3見て、高野へよ
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