に出さなけりゃならないでしょう? これは冗談だが。――野原の方の土地家屋は講をつくるときに、信吉さんが父上の御承知ない間に、自分の名儀にしてしまっていらっしゃる由です。その他お二人としてはいろいろのことで、この際、あちらはあちらとして生活の責任をもってゆくようになることを御希望です。あなたは御存知ないかもしれなかったが。――お父さんの昔仲間の野田さんはこの頃の激しい時期に株にひっかかって、皆々心配して居ります。
 お母さんは、近いうちに、私を宮島見物につれて行って下さるそうです。こちらへ来る迄、私は父上のことも心配だったし忙しくて忙しくてひどかったし、着いて、お父さんのお笑いなさる顔を見て安心したら、何だかポーとなって、久しぶりで、まるでのんきな休まる気分です。お母さんの娘になって、少し遠慮しながら甘ったれて、冗談を云って笑って、真面目な相談もして、そして夜は十時すぎにもう寝て、それでも朝九時頃まで眠ります。どうも、眠くて眠くて。それは眠いの。あなたに、これだけ書いて、家の中の空気おわかりになるでしょう? 林町がああ腰をぬいて暮して居るし、私はキリキリまいをしているし、ここでは、お母さんを中心に活々《いきいき》と軸がまわっていて、又別な楽しさ、安らかさです。
 今度来て本当によかった。
 お医者も特別に誰というお好みはありません。しかし、お父さんは昼間お眠りになりすぎます。これは、やはり全体の御衰弱ですから、余り油断はならないと思います。あなたの方はずっとおよろしい方ですか? 食慾も出て居りますか。どうか、どうか、お大切に。ここにいると何だか遠いようです。私はこちらですっかり疲れをなおします。では又

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[自注10]お后《ゴー》――顕治の故郷の地方では、おくさん、おかみさんをお后《ごう》はんとよぶ。
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 三月二十九日(消印) 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 厳島より(安芸の宮島廻廊より千畳閣を望む絵はがき)〕

 ここは大変に明るい美しいところでびっくりしました。清盛という人物が只ものでなかったのがよくわかります。よい天気。お母さんと、砂と松の間をふらりふらりと歩いて、よい散歩です。あなたもここは御存じでしょう?

 三月三十一日午後 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕

 三月三十一日  ひる少し前 曇天。
 
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