手数はよく分るので一層うれしゅうございます。
 二月十七日に六信をかき、二十日すぎに七信をかきました。もうそろそろ二つとも届く頃でしょう。
 このお手紙に書かれているすべてのことは皆よくわかりました。或はもう分っていたこと(お目にかかって)もあり。(差入島田の要点等)
 いまうちには信州の方の知人へ稲ちゃんが世話をたのんで呉れ、よい人が見つかりそうですから御安心下さい。ヤスのような人物だったらどんなにいいでしょう、あの半分位でも。
 いずれにせよ、私は私たちの生活全面を非常に愛しているのです。そして辛いなどと、きりはなして考え、又感じたことは殆ど一度もない、これこそ、私は私たちの無上の幸福だと思って居ります。私が身に引き添えて思うことは、私たちの文学の上にでも、しなければならないことに比べて、生活術が未熟だったり、人間としての鍛練が足りなかったりすることを自覚したとき、ああもっともっと豊富になりたい、とそれさえも私の場合では希望の光の裡で欲求されるのです。私は御承知の通り滅入らないたちの女です。私の方にあらわれる生活上のいろいろのこと=次善的な方法で家をもたなければならぬこと=それさえ私は私たちの生活として決して半端とかあり得べからざるとかいう俗的規準で感じていず、全的なもの、全く充実したもの、私たちの現実の中でもち得る唯一のものとして生きているのです。どうぞ御安心下さい。私にもし例外的に己惚れが許されるとしたら、この点だけです。貴方という存在は、朝夕まわりに姿を立ち動かしていないでも十分私をたっぷりと場所に坐らせ、豊かにさせていらっしゃるのだから。私たちはその点では本当の自信に満ちています。ただ、私はね、些かアンポンであるし、その自信を現実の歴史的な価値に具体化してゆくために、えっさえっさであるというわけです。それもなかなかよろしいのですよ。疲れすぎない程度に腰を据えて仕事を押してゆく心持は。
『文学評論』が(六芸社の方)いろんな本屋の店頭に積まれている。となりの方に小説集も落付いた藤色の表紙で並んでいる。何というよい眺めでしょう。評論感想集の方の名は「昼夜随筆」というのにしました。わるくはないでしょう。「わが視野」というのはよい題です。この次のにつけます。
 私の感想評論はこの頃少し内容がましになって、この次の分には「わが視野」とつけてもよいらしい。この頃のは評
前へ 次へ
全118ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング