たちの批評の当っていることをお認めになりましょう。きょう、やっとお手紙が届いたが、十二日の分は来ず、いきなり十八日の分です。十二日のを待って待っていて来なかったわけです、どうしたことであったろう。
見ぬ魚の大さ。※[#丸A、261−9]
十一月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(竹内栖凰筆「若き家鴨」の絵はがき)〕
十一月二十五日。この間お目にかかったときよく伺った野原島田のことは私によくよくわかって居ります。あなたのお気持の中から。島田へはこのお歳暮にさしあげましょう。私はお父さんを笑顔にして上げたいから。野原は冨美子が女学校へ入ったら。来年三月。丁度フミちゃんの教育費に十分なわけです。大変によいと思う。皆安心出来て。月謝の心配は女の子は辛いだろうから。※[#丸B、261−14]
十一月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(鏑木清方筆「鰯」の絵はがき)〕
十一月二十五日、これが例の清方の鰯です。画面の奥までちゃんと描いているのだが、やはり插絵風になってしまっている。芸術家が単に情緒に止った場合この如き技術をもっていてもやはり低俗にならざるを得ないことは実に教訓ですね。日本画にも或る意味でのバーバリスムが入って来ていて(藤田嗣治の田舎芸者のモホー)其様なのも見かけたがまだ外側のものです。※[#丸C、262−5]
十一月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(中野和高筆「ひととき」の絵はがき)〕
十一月二十五日 この絵は父親のイギリス風なおじいちゃんぶりが林権助伯を思い出させ、又何となく林町の父をも思い出させます。したしみのある面白い絵です。軽井沢辺と見えますね、遠景の工合。何年ぶりかで今年は絵を見て、芸術家の感興ということをいろいろに考えました。感興の色合、深さ、リアリティー。清方だって身にそった感興でこれをつくっているのですからね。※[#丸E、262−10] これは※[#丸E、262−11]までで終りです。
十一月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(菊池契月筆「麦※[#「てへん+臣」、262−12]」の絵はがき)〕
十一月二十九日夕方。
そこにも豆腐やの音が夕方はきこえるでしょう。きょうは、本当に久しぶりで苅られ、分けられている髪を見て何と珍らしかったでしょう。
まだ四時すぎだのにもうすっかり夕方になっている
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