ワでにかくべきだったのをのばしているので次の部分は二月頃にするか三月にするかします。
第一、第二、第三部になる予定です。 1931 頃から '36 位に及ぶ。私は昔云っていたようにこの小説では、外面的な事件を主とせず、社会の各層の典型的な諸事情と性格と歴史の波との関係を描き出してゆきたいのです。恐らく一遍書き終って随分手を入れなければなりますまい。しかも、室生犀星、佐藤春夫、中村武羅夫というような人々は、私の小説を見ると持病のゼン息が起ったり、はきそうになったりするのですって。お互様に辛いことです。
小説は長いもののつづきのほかに、「築地河岸」25[#「25」は縦中横]と「鏡の中の月」18[#「18」は縦中横]とをかいた。今年はそれでも、すこしは小説を書いた方です。段々かけてくる。来年はもっと小説に重点をおきたいのですが、短いいろいろの評論風なものも、自分の趣向からばかりでなくやはり書く方がいいと思い(金のことに非ず)閉口です。十月には多分もう書いて上げたと思いますが、『新女苑』(祭日ならざる日々)12[#「12」は縦中横]、『婦公』20[#「20」は縦中横]、別に15[#「15」は縦中横]あとこまかい文芸的感想30[#「30」は縦中横]ばかり。本月はその三笠の一仕事を片づけたらあと短い小説20[#「20」は縦中横]〜30[#「30」は縦中横]をかいて、あとはすっかり長い方のつづき。
「伸子」をかいた頃を考えると夢のよう。三月に一度ぐらいの割で60[#「60」は縦中横]枚だの九十枚だのとポツリポツリ書いていた。
日本ペンクラブというのが十年から出来ていることを御存じでしょうか。会長藤村、教授翻訳家出版関係者、作家詩人という面々です。大変行儀がよくてキュークツであるところです。私がそこの会員にされました。夏頃そこと外務省とで女の作家の作品をドイツ語にするので送るのだそうで林、野上、宇野、私で、私は「心の河」。これはあなたのよく云っていらっしゃる『白い蚊帖』に収めるためにまとめた短篇の中の一つです。自分でこまかいことは記憶しない。そんなに古いもの。
あなたのお体のこと。慣れた強さの生じることもよくわかります。強靱であることもわかる。でも、この前、私が速達であげた手紙の約束は守って下さるでしょう? 私がくよつく故ではありません。それも分って下さるわね。お母さん方を御
前へ
次へ
全118ページ中100ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング