qの茹《ゆ》でたのをもって池袋へ出かけたら、戸塚の子供二人が母さんをひっぱってピンつくやって来た。
朝霞はいかにも平凡であるが武蔵野の起伏をもった地形で、薯掘りはおどろくなかれ、そこにある寺が世話やきなのです。バスに一区のって山門の石の標《しるし》が見えるところへ来ると、左手の広い畑の面に一ヵ所こちゃこちゃ色とりどりの人間のかたまりがある。薯掘りなのです。山門を入ってゆくと、そこの亭《ちん》、そこの松の木の下に棧敷をはってフタバ幼稚園、何々小学校、特殊飲料組合とびっしり。本堂の右手に紙を下げて薯掘案内所。一坪十六銭。うねが一本の三分の二位。私たちはそういう休処へはわりこめないから、石段を下りて名ばかりの滝のあるところに丸髷の百姓小母さんの出している茶屋の床几を二つくっつけてそこで休んでお握りをたべ、実に呑気《のんき》で、間抜けピクニックなところに云いがたい味があって、神経の大保養になりました。やがて又山門の外へ出て、畑道をゆき、薯掘りにかかったが、井汲さん親子一生懸命掘るわ掘るわ。健造も面白くて二坪買ったのでは掘りたりなく、じゃあもう一坪買っておいでと云ったら、ありがてえなアと云ったのには爆笑してしまった。
広い畑の眺めの上にごちゃごちゃした狭くるしい人のかたまりを見ると、いかにも東京から来て買った畑をせせくっているようで、可笑しいが、ごそごその中に入って、はだしになって健造のもて扱っている薯を掘ってやったりしていると、やっぱり薯掘りは掘るべきものなりというようなところでした。
団体には景気のいい世話役がついているのがあったりして、庶民の秋の行楽の一つの姿がある。かえりは薯をわけ、それぞれにかついだり背負ったりして、ブラブラ十何丁かある駅まで歩いて来た。
そしたら余り駅がひどい人なので、すこしすくのを待つ間、広告でもう一つの名所としてある日本第二の大梵鐘《だいぼんしょう》というのを見物に、自動車へ満載で行った。ところが、そこは寺でも何でもないトタン屋根の大作事場で、その梵鐘の発願人根津嘉一郎。大仏もこしらえかけてある。職人が働いていて、その仏師の仮住居らしい竹垣の小家の前にはコスモスが咲いている。根津はこの梵鐘を精神凶作地の人々におくるための由。大仏もつくり、名所にして金が落ちるようにする由。根津とこの土地とはどういう関係があるのかは不明でした。
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