ノ喋ったり、そんな形で互の心持をつたえなければならないのだけれども、こう云っている私の心持のあなたへの全くの近さ、ふれ工合。それを字でかくことはお話のほかにむずかしい。おお、私はここに、こんな工合にしてものを云っているのに。
 私がこんなに歓びの感情を披瀝《ひれき》するのは、あなたに唐突でしょうか。そうではない。でも、私のこの心持がわかるであろうか。このよろこびの中には何とも云えず新鮮で初々しいものがある。又新しい青い青い月の光がそこにさして来ている。私は書きながら涙をこぼすのよ。人生というものは、其を深く深く愛せば愛すほど、何と次次へと貴重なおくりものを私たちに与えるのでしょう。この私たちの獲ものが食べられるもので、あなたのおなかへ入って、すっかり体の滋養になったらさぞさぞいいだろうのに。ではこの手紙はこれでおやめ。私のおくることの出来るあらゆる挨拶であなたを包みつつ。

 九月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(鍋井克之筆「二筋の川のある村」の絵はがき)〕

 九月二十五日、文房堂で買った二科のエハガキ。この画は本当にこういうところがあったのでしょうか。夢でしょうか。そう思わせるところにこの画家のこの絵での狙いどころがあたったわけと云うべきか。昔このひとは遙かに精悍でありました。これは芝居のや〓〓をもったかきわりの如し。もう一つの東郷湖という風景も同じように或趣味に堕している弱さがある。

 九月二十五日の夜。 〔向井潤吉筆「伐採の人々」の絵はがき〕
 この絵を眺めていると、コムポジションを一寸工夫するともっと生活の雰囲気とスケールのある絵になると感じられますね。もっとも前景の一かたまりの人間と、その奥の木を引っぱる一列の人間との間隔が、雰囲気的にアイマイにしか把握されていない、だからクシャとしている。実物は果していかがや。まだ見て居りません。十月最後に見られれば見ます。御体をお大事に。

 九月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(鍋井克之筆「梅雨時の東郷湖」の絵はがき)〕

 九月二十八日夜。
 はじめの頃の単行本を、製本しなおしてお送りいたします。すっかり古くなってこわれてしまっているから。鎌倉へゆくと頼朝公御六歳のしゃりこうべというのがある。「一つの芽生」などというのを見ると、自分の御六歳のしゃりこうべのようで、フーフー。でもその小猿のしゃりこ
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