ネい。貴方は私のように不揃いな出来ではなくて、美しい強固さと優しさと知に充ちている。私はその中にすっぽりと自分を溶かしこむこと、帰一させてしまえるのがどんなにうれしく、楽しい想像だか分からないのです。もう自分というものがあなたと別になくて、間違う心配もなくて、離れている苦しさもなくて、一つの親愛な黒子《ほくろ》となってくっついているという考えは、私を狡猾なうれしさで、クスクス笑わせるのです。
そして、もう一つ白状しましょうか、私の最大の秘密を。それはね、この頃私の中につよくなりまさりつつある一つの希望。それは、私がさきに、あなたの中にとび込んで黒子になってしまいたいという動かしがたい願望です。だから、あなたがこの手紙を御覧になるときはその点でもユリ奴《め》、運のいい奴! と私をゆすぶって下すっていいのです。ホラね、と私はほくほくしてくびをちぢめて益※[#二の字点、1−2−22]きつく貴方につかまるでしょう。
涙をおとしたり、笑ったりしてこれを書いて、海上を見渡すと実によく晴れて、珍しく水平線迄が澄みきっている。
いかにも私たちの挨拶の日にふさわしい。ではこの早く書かれた手紙を終ります
わが最愛の良人に。
[#地から5字上げ]ユリ
九月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 国府津より(封書)〕
九月一日 夜十一時半 第二十八信
林町のテーブルで珍しくこれを書いて居ます。急にバラバラ雨の音がしている。明朝緑郎がフランスへ立ち、咲枝が送りがてら神戸の友達のところへゆく。倉知の俊夫(咲の兄)が召集されて出かけ、従弟の倉知|紀《ただし》が又呼ばれて出かけ、春江の良人河合(咲の義兄)があぶないと云う工合で、この頃の空気がつよく反映しています。
さて、昨日は疲れていらしたところを却っていけなかったかもしれませんでしたね。口がお乾きになる様子でしたね。しかし、秋になって気候も落付いたら追々きっと調和が保てて来るでしょう。理想的に行かないにしろバランスがとれるようになるであろうと確信して居ります。
きのうはもう時間がなかったので、けさ予審判事にお会いして、体に関する条のことお話しておきました。それに関する部分だけのこととしての私の理解に立って。
本とりそろえて最近にお送りします。私は明夕又国府津へ行って六日頃まで居るつもりです。菊池、越智氏のことは島田のお母さんに伺っ
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