繽\二度、きのうは、朝のうちそちらへ出かけてやっと夜着をとって来て、それから小さい例の茶色のスーツケースに本や着換えをつめて、四時に東京を立ちました。寿江子が横浜まで送りに来て、あとは私一人。この頃国府津は小田原にすっかり交通要点をとられてしまって、この頃は準急もとまらない。但し、街路はすっかりコンクリートになって、家の前の私たちがのぼった古松の生えた赤土の崖などはどこにもなくなってしまった。そのことは多分去年の夏、あなたに其那スポーツは体の弱っているときにするべきでない、と云われたドライブで家の前を通ったときの印象で書いてさし上げたと思います。庭は芝生になっている。母が没した後父と来たとき植えさせた合歓木《ねむのき》が風に吹き折られもせず一丈ほどに成長している。
私はこの間のハガキに書いたようにラジオのやかましさを聞いて机に向っていると、炎天の空がくしゃくしゃ皺になって感じるような神経の工合になったので、本当に本当に思い切ってこっちへ来ることにしました。相変らず仕事をもってではあるが、ラジオがガーガー云わず、来客がなく風が吹くのだけはましです。きのうはいい月夜で、窓からあまり海上が美しいので、ふらりと波打ぎわまで出てみたら、面白い発見をしました。虹ヶ浜であなたは知っていらっしゃるかしら。月の海というものは、高い遠いところから見ると銀波洋々であるが、波打際までゆくと月のさしている一筋のところだけ海上が燦《かがや》いて、あとは微妙に暗く、しかもどこか明るく海面がもり上ったように見えるものですね。大変珍しかった。箱根の山の方も、風に吹かれた砂丘の方も見えず。丸い白い浴衣に団扇をもった私一人が月の照る浜にいるだけ。犬もいない。
家の方は、S(略称「バラさん」という)父、寿江、私とお馴染《なじみ》の看護婦のお母さんが来ていてくれるので私は本当に安心していられる。
こんどはまわりがすこし心配しはじめてそういう順立てもしてくれたのです。
お工合はどうですかしら。この間の本はすこしは役に立つでしょうか。どうしても腸の疾患だけを特に一冊にとりまとめたのはありません。あの本は南江堂で買ったがその前日丸善(神田)へ行ったら医書のところに『人間は皮膚を変える』というヤセンスキーの小説、黒田辰男訳が立ててあって、笑いを押えることが出来なかった。何たる皮肉でしょう! この作者の現実と
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