トおじさんが欲しいと云っていらしたものだそうで、大変およろこびでよかったと思って居ります。冨美ちゃんからお礼の手紙つきましたか? お体を呉々もお大事に。だるいのに体をお動かしになるのは大変だと深く察します。私も三日ばかり工合わるくしましたから猶々。
七月二十六日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月二十六日 第二十一信
きょうあれからかえって、すっかり安心をして、喉がかわいてかわいて。たくさん番茶をのんでトマトとパンをたべて眠りました。私はいつも永い仕事を一つ終ると本当にのうのうして眠るのに、今度はお目にかかったとき、沢山の気にかかることがあったので、珍しくよく眠らず、疲れがぬけなかったので病気したりして。
昼ねから醒《さ》めて、体を洗って、新しい仕事を考えながら二階で風にふかれていたら、不図思いついて狭い濡縁《ぬれえん》の左の端れまで出てみたら、そこから四つばかりの屋根を越してあなたも御存じのもとの私の家の二階の裏が見えました。間に自動車の入る横通りが一つあって、それから先なのに、屋根と梢とでその道路の距離は見えず。眺めていて、あの二階にさした月の光の色をまざまざと思いおこし、ここに今自分たちの生活があること、そうやって昔の家の見えること、それらを非常に可愛らしく思いました。あの屋根とここの濡縁との間にある距離はその位だけれども、私たちの生活は何とあれから動き進み、豊富にされてきているでしょう。そのためどれほどの人間らしい誠実さと智慧と堅忍とがそそがれているでしょう。世間では、私たちをある意味でもっとも幸福な夫婦と折紙をつけています。私はもちろんそれをいやに思ってはききませんが、そういう人々の何パーセントが、何故に私たちが幸福な夫婦であり得ているかという、もっとも大切な点について考えをめぐらしているだろうか、とよく思います。
七月十日づけのお手紙を私は三度や四度でなく読んで、こういう手紙を貰える妻の幸福そしてこわさというものをしみじみと感じました。貴方は何と私を甘やかさないでしょう。(こわいのはむかしからだけれど)あの手紙の中には小さい感情でいえば、普通の意味で、私に苦しい言葉もあった。たとえば、ユリのジェスチュアは云々。――ジェスチュア※[#感嘆符疑問符、1−8−78] そう思う。ああと思う。ジェスチュア。だが幾度もとり出してよみ直し
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