によっている。やっぱり暑くてもさっぱりしている日は違うね、そんなことを話しながら、さて机をどっちにうつしたものかと考え、とうとうベッドを置いた八畳の方へ長四畳から出て来てしまいました。二階は概してあつい。特に四畳は西日がさすので。ここは庭を見下し、青桐の梢に向い、いくらか増しです。ピアノの音がしている。緑郎はゴーゴリの「検察官」を組曲に(パロディー風に)つくるプランをたて、しきりに思案中です。私はきのう、おとといでシャパロフ[自注12]をよみかえしたのですが、ゴーリキイより三つ年下のこのひとの経験はいろいろ比べて面白い。なかに、シベリアにはチェレムーシャという韮《にら》に似た草があって、それをたべると壊血病の癒るということがあります。何なのでしょうね。
 一つの家でも食堂九〇度、この机のところは九四度。
 昨夜は若い友人を渋谷の第一高等学校の近くへ訪ねてゆき、珍しいものを見ました。Y・Sの家ですが、昔の土蔵づくりの武者窓つきの全く大名門です。その門の翼がパァラーで主人Sの話し声がし、右手ではK女史のア、ア、ア、ア、という発声練習が響いているという工合。家全体は異様に大時代で、目を瞠《みは》らせる。そして道を距てた前に民芸館と称する、同スタイルの大建築がまるで戦国時代の城のように建ちかけている。木食《もくじき》上人、ブレーク、アルトの歌手。それとこの家! 実にびっくりして凄いような気がしました。Yの父は三井の大したところの由。私はブリティシュ・ミューゼアムで、ブレークの絵を見たときの印象を思い出し、ああいう特殊な世界にあってもとにかく清澄きわまる水色や焔のような紅色やで主観的な美に於ては完成していたブレークを、あんなに心酔しているY氏が、こういう重い、建築史からもリアクショナルな建築の家、わが家[#「わが家」に傍点]に住むとはびっくりした。芸術的感覚というものがいかに彼にあってはよりどころよわいかということにおどろいたのです。強さ、重さ、鈍重さの美を素朴な美しい木造の柱や何かにいかさず、ああいう土蔵づくりに間違えてしまったところ、実に微妙で複雑な歴史性の反映です。建築上の民族的特質というものについての勘ちがいがある。Y氏の愛する木食上人の木像は、ああいう家に住む土豪にあって彫《きざ》まれたものではなかったのですからね。
 SUが新交響楽団のキカン誌『フィルハーモニー』の編輯の仕事に入りたい希望でいることは、この前の手紙で申しあげましたね。今月の二十日頃採否がきまります。いずれにせよ、この家には住まないことになりました。KUが私がいないではSUと住むことを我慢しきれないというの。SUの方でも。――ケンカ別れをしてしまうより別々に暮そうということになったのです。二人ながら生活においては未熟練で、感情的で、互に「他人よりわるい」場合が頻出するのですね。私は太郎の遊んでいる姿を眺め、この可愛い小僧の精神の中に、どれ丈この生温い、受身な、姑息な生活気分を打開する力がこもっているかと思います。そしてどうかこの小僧が成長する時代が活溌であって、おのずからいきいきとした雰囲気に呼吸して育つようであったらと希望します。私たちの家の三代の間の歴史は実に興味があります。この面白さは文字でしか描写できぬものです。
 私の家はそろそろさがして貰うことにしました。どこに住んでよいかよく分らないけれど早稲田南町辺はどうかしらなど考えて居ります。戸塚へも近いし。市外はおやめです。夜などの出入りに淋しくて困るから。
 この手紙はいろいろ盛り合わせになりました。
 お体の様子は又くわしくお知らせ下さい。
 附録、 千葉県の保田に一ヵ年契約で月六円の家があり、いねちゃんの子供らのために共同でかりました。学校の休のうちに子供らは出かけます。私は毎日大勉強で、本を運ぶのが面倒故、一かた今の仕事が片づいてから。七十銭位の本になります[自注13]。大変面白い文化年表をつけます。前例のない試みですが、有益です。

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[自注10]花の散ったパリ――一九二九年のアメリカの恐慌の影響をうけたパリの生活。
[自注11]二年間位の仕事――「伸子」の続篇が計画されていたが実現しなかった。
[自注12]シャパロフ――シャパロフ著『マルクス主義への道』。
[自注13]七十銭位の本になります――ゴーリキー伝のこと。健康悪化してこの伝記は未完のまま終っている。
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 八月十日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(正宗得三郎筆「干潮」の絵はがき)〕

 八月十日午後五時半。夕立があがって心持よい夕方。蝉がオーシイツクツク、オシオスと鳴いています。御気分はいかがですか。私は毎日十枚位ずつ書いて居ります。二日ばかり前、十二銭貼った手紙を出しましたが御覧になりましたかしら。きょう此をかくのは、さっき雨上りの庭へ出て見たら離れの庭に白藤の花が今頃咲き出したのを見つけうれしさに興奮しました。貴方は、私達の祝いに貰った大きい白藤の花の鉢を、二階の廊下においていたことを覚えていらっしゃいますか? その白藤が今年はじめて時おくれの花をつけたのです。私はうれしくてこのハガキをかきます。

 八月十八日夕 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 八月十六日(第六信)
 夜中。時間がよく分らない。
 私の例の時計は、このごろよく居睡りをしますので。――
 こんなにおそく話をするのは、この頃私は実に実に勉強をしていて、今五十枚ばかりペシコフ爺さん[自注14]の少年時代について書き終り、まだ興奮がさめず、何か書きたいからです。
 たあ坊・健造たちは保田の月六円の家へ両親とゆきました。太郎は咲枝ちゃんと安積。スエ子はこの三日間ばかり信州八ヶ嶽の麓の小海線という高原列車の沿線へ行き美しく日にやけてかえりました。私は家でギューギュー。そして、貴方にきょう「太陽《ゾンネ》」という題でヴォルフ博士がライカ・カメラで撮った海陸写真集をお送りいたします。
 もう涼風が立ってからこのようなものを送るのを御免なさい。私も秋になってからもし事情が許したら少し休養して来るつもりだから。二人のところに、今年の夏の休暇は時おくれなのです。
 お体は朝夕しのぎよくなりましたか? 食欲はお出になりますか。あしたあたりお手紙が来るのではないかと思います。十八日にはお目にかかりにゆくつもりですが。――私は、今の本みたいなものは一生一冊だから本当に熱心にやって居ります。深い洞察、愛のこもった分析、公平な作家的批判、その全幅を傾けて居り愉快です。木星社から出た本[自注15]が三版目になりこの秋か冬出ます。後書を発展的な見地に立って私が自身の名でかくつもりです。私はもうその位の経験は積《かさ》ねていると信じて居りますから。歴史の或時の業績の中から積極的なものがちゃんと引出されるのは当然であり、悦びです。
 十八日の午後二時。
 あれからかえって来て、急に夏フトンをほして、ボタンをつけて、今江井が又のっけて中川へ届けに出かけたところです。
 夏ぶとんがあの暑い最中になかったというのは実にお気の毒様でした。私は前に手紙で伺ったとき、御返事がなかったからそちらにあるものと考え、栄さんも在ると云ったので、わざわざ縫ったのに入れなかったのです。本当にこういうゆき違いは些細なことであるが私としては大変あとの心持にのこります。暑いね、今日は。そう云う、そして、お湯がもうお浴びになれるのかしらんと考える。そういう風に心持が動いている。暑い。暑い。だが自分としてはさっぱりした花でも机の上に置いてウンウンとやっているのが結局一等心持がよい。そういう感情の状態だから夏ぶどんの行違いには閉口してしまいました。マア、でもいいわ。それに、今年の冬こそあんな足の先の出るようなのではない夜具をさしあげます。あなたの体に、あの変に小さいおしるしのような被物がのっかっていたのかと考えると滑稽で腹立たしい。
 家の者のいろいろの近況を申しましょう。スエ子はこの十九日頃職業がきまるか駄目になるかの境で、気を張って居ります。どうもあやしいらしい。慶応を出た人で、編集事ムをやっている人のスイセンしている者があるので。
 江井は御承知のとおり永年働いていて家族八人故このひとの身の振方については随分心配いたしました。国男には父のような月給が払えぬから。それで江井も大いに頭をしぼり、向島の西村の土地のがら空きのところへアパートを建てることになり、それで江井の安定の手段とすることになりました。私はやっと肩の重荷をおろしました。何しろ、こういう話、スエ子の話、皆、百合子様、お姉様なのです。この数ヵ月は珍しい方面での心労をいたしました。俊造はこの秋学校をどうやら出てどこかの製作所に入ります。家も冬までには建て直して小ぢんまり、文化的にする由[自注16]。国男夫婦は家が直ると心持(生活の)まで変ることを大変たのみにして、何でもすべていいことは家が直ってからという期待につながれて居ります。この心理は面白いのです。私も激励して笑い乍ら「居は心をうつすそうだからね」と云って居ります。そしたら国男もしっかり勉強するのだそうです。
 私の弟妹たちは一風も二風も其々《それぞれ》に変って居ります。実に変っている。
 太郎は今安積で、日にやけ、田舎の子と遊んで居る由、結構です。土のこわいようなものが出来上っては仕方がありませんから。少しはよその子とケンカして泣くのもよいでしょう。「ああお坊ちゃま危《あぶの》おございます」では見ていても切ないもの。
 島田の方では、達治さんの除隊が一番たのしみでいらっしゃいます。
 これは、私達二人の楽しみで、まだ島田へは申さないのですが(実現しないとすまないから)達治さんがお嫁を貰うとあのお家では狭いの。お風呂場のところをね、改造してお父上のゆっくり寝ていらっしゃる小部屋にし、風呂は台所の左手(井戸の奥)へもって行ったらどうでしょう?
 六畳か八畳のさっぱりした部屋をこしらえて上げたいと思います。私はそのことを、なかにいて考えたのでした。あんまり早く達治さんが御婚礼してしまうと困るが、来年の中頃以後であったら何とかなりそうで楽しみです。家のプラン想像なさることが出来るでしょう?
 二階は達治さん達。今の下の部屋が隆治さん。その奥へお二人というわけなのです。ずっと戸外が見えるよう冬でも外景の見えるようガラスをよく利用してね。楽しい想像でしょう? 私は私式の粘りでこの小さいが愉快な空想を実現するつもりです。どんなにおよろこびになって下さるでしょうか。大変嬉しい計画[自注17]です。木星社の本のこと、このこと、二つの楽しいことです。秋になれば、あなたのお体も少しはよくなるでしょうし。
 九月十日に「どん底」や「エゴール・ブルィチョフ」の記念の講演会の予定があり、私の校正も一通り終ったら或は安積へゆくかもしれません。只景色のいいところにいるだけなら二三日でよいが、安積は久しぶりでいろいろ面白いかとも思うので。
 きょうは暑いが乾いている。机の上にコスモスの花があって非常に初秋めいた美しさです。スエ子の注射のための看護婦のひと(私も慶応で世話になり、父の最後も世話してくれたひと)が、私がよく仕事をするからと御褒美によく花をいけかえてくれるのです。あなたのところの蘭はまだ活々として居りましょうか。白藤の花は三房あります。ではまた。

 付録(一枚)
 きょうもお話の間にいろいろ私の生活について心配して頂いていることをありがたく存じました。でも、普通な意味で心配していただくには及ばないのです。その点私達は大層幸福者であります。私はやっぱりどこまでも私ですから。あなたは百合はお嬢さんだが、云々と云って安心していらしったその安心をずっともっていて下さってちっとも間違いでないし見当ちがいでもないのです。私は自分がそういう点安心しているのにあなたが心にかけていらっしゃるのかと思うと、逆に何だかこうして説明しなければならないような気になります。
 
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