り生活を愛し、たくさん笑い、心の底に音楽を感じながら、例えば、きょうは暑くて苦しいから、勉強部屋の掃除をさっぱりして、裏庭から草花をとって来てそれをさし、フロをたきつけ、それを浴び、きのう下げてきたフトンの日によく乾したのをベッドに入れ、夕立が来た頃は爽やかな、うるおいのある心持で横になってちょっと休みました。それからついこの間六十八歳で立派な生涯を終ったクリムサムギンのおじいさん[自注4]のことについて少し勉強し、あしたの朝早起きするのを楽しみに、このお喋りを終ったら寝ます。だいたい健全なプログラムで毎日がすぎ、出来るだけ夜ふかしはしません。でもこの間、「わが父」を『中央公論』に書いたときは徹夜してしまいましたが。
きのう速達で手拭(一)[#「(一)」は縦中横]、タオル(二)[#「(二)」は縦中横]、下へはくもの(二)[#「(二)」は縦中横]、単衣(一)[#「(一)」は縦中横]、フロ敷(一)[#「(一)」は縦中横]等お送りし、フトンは敷布を添えました。タオル二本のうち、私は薄手の方がさっぱりした使い心地だろうと思いますが、実際はどうかしら。薄いのがよかったらこの次はそれだけにいたしましょう。本は比較的軽いもの、だが面白そうなものを『日本経済年報21[#「21」は縦中横]』とともに送りました。あなたの帯はもうぼろぼろになりましたろう? はじめからあれはやすものだったですものね。この次の手紙のとき、そのしおたれ[#「しおたれ」に傍点]工合をお知らせ下さい。今年の夏、私はやはり東京を離れない予定です。何とかして、すこしはさっぱりした一夏を送らせてあげたいと思います。去年も一昨年もひどい夏でした[自注5]から。
父のことについて私は特別あなたにどう書いてよいかわからない。短い言葉で表現すれば父は父として最もよい生きかたをしたし、なくなりかたをしました。父と私との心持の相通じていた程度の濃やかさは御存知ですが、父は自分の死によってまで、かえって私たちに生活力をおこさせ、人生の正道を愛す心を深くさせる、そういう生活を営みました。よく世間では急な永訣のとき、虫が知らせるとか、或る徴候があるとかいうが、父と私との場合、ちっともそんなことはなかった。それはまことに愉快です。そんなこみ入った心霊的技巧がいらないほど、生命が終る途端まで互の結びつきは充実していて、云わば死んでも死なぬ有様なのだから。すべて充実したもの、生粋なるもの、自然力でもそういう発現をする場合、常にどっちかというと単純なような形であらわれ、しかも云いつくされぬ美にみちている。人間も、この美に精神を鼓舞されるには、出来あいの生きかたでは駄目であるから、私はつい自分を幸福な者の一人に数える次第です。こちらはまだ蚊帳はつりません。そちらは? 太郎はこの頃ニャーニャという言葉を覚えました。ではおやすみなさい。又書きます。
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[自注2]第一信――公判後、百合子からの第一信。
[自注3]心苦しく思います――一年二ヵ月ぶりに面会して、宮本への差入れ状態が非常にわるかったことがわかった。一月三十日に中條の父が死去したとき、顕治は弔電をうつ金さえもっていなかった。百合子が市ヶ谷の女囚の面会所で家のものに会うたびに、あっちは大丈夫かしら。ちゃんとしている? ときいたとき、百合子のきいた返事は、いつも、ええ大丈夫。御安心なさい。ちゃんとしていてよ、という返事と笑顔だった。
しかし現実では、顕治は不如意のために疲労していた体の栄養補給ができず、結核を発病した。
[自注4]クリムサムギンのおじいさん――百合子はマクシム・ゴーリキーの伝記を書こうとしていた。
[自注5]去年も一昨年もひどい夏でした――一九三四年の夏は二人とも留置場生活中であった。一九三五年の夏はまた百合子が留置場生活であった。
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七月九日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(陳清※[#「汾」の「刀」に代えて「一/刀」、60−15]筆「榕園」の絵はがき)〕
七月九日。きょうのおかゆはどうでしたろう? かたくなかったかしら。どうか食欲をうまく保つよう御工夫下さい。スープは栄養よりもアッペタイトを刺戟するのでよいのだそうだけれども。ゆっくり手紙が書きたいけれども、私はまだ仕事が一しきり片づいていないので、このハガキで間に合わせます。テッちゃんが会いたがって、きょうも手紙をくれました。近々出かけます。お父さんの椅子も買いに出かけますが、一度島田へきいてあげましょう。坐椅子をかってあげたのでもしかしたら其によりかかっていらっしゃるのかもしれないから。この支那の人の絵の色彩、生活感、面白いでしょう。今の時候で見ると大変暑苦しいようであるがなかなか濃厚で面白い、但この作品で画家は極めて自
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