す。大変やすくて、閑静でよさそうなところだから。芝のおじいさんたちのゆくところらしい様子です。机をもって本をもってゆきます。早寝をして、散歩をして、母さん役からはなれて、少しのんきになるつもりで。この手紙を御覧になるのは又私がお目にかかってからのことになりますね。どうか呉々もお大切に。安眠なさるよう切望いたします。

 九月十三日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(はがき)〕

 今日の午後手紙を書いて、夜テーブルの横を見たら一枚私の字の書いてある紙がおっこちている、何だろうと思って見ると、手紙の中の一枚が何のはずみか落ちていたのに心づかなかったのでした。変な手紙をおうけとりになることになるでしょう。その頁で私はあなたのお体のことを主として伺っていたのだのに。――どうぞ右の次第御承知下さい。注意が散漫になっているのではないから。

 九月二十四日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(鍋井克之筆「榛名湖」の絵はがき)〕

 九月二十四日夕方五時。
 今、『東日』の月評をかき終り「地獄のカマのふたがあいた、あいた」と御機嫌のところです。私は短い時間に、沢山の雑誌をよむこと、つまらない小説をよむことがきらいでしかたがないが、とにかくがんばってまとめてうれしい。明日お目にかかりにゆくのですが、一筆。これは今の二科に出て居る絵です。

 十月三日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 長野県下高井郡上林温泉せきや方より(地獄谷の写真の絵はがき)〕

 十月三日。一日に仕事が終らず、二日に出発。上野から長野まで汽車。長野から湯田中まで電鉄。その後自動車でのぼり二十分ばかり来ると、桜並木のところに、店頭にお菓子を並べてタバコの赤いかんばんが出ている、そこがせきやです。部屋からは、その桜並木、むこうの杉山、目の前には杉、桜、楓など。お湯はおだやかな性質で、よくあたたまります。ウスイのとんねるを知らないほど眠って来てしまいました。空気がよくて鼻の穴がひろがるよう。二つの部屋に栄さん、私とかまえて居ります。今日も雨です。
 栄さんがお湯で、アラ、と云って立ってゆくから、ナニときいたら青い雨蛙が青い葉の上で動いたのでびっくりした由。二人ともあんまり口もきかず、のびるだけ神経をのばして居ります。
 いねちゃんが上野まで送ってくれました。汽車がカーブにかかるまで赤いジャケツが見えました。
 昨夜は何時に眠ったとお思いになりますか? 六時半よ。そしてけさ、六時半。納豆、野菜など、なかなか美味です。きょうテーブルをこしらえて貰います。

 十月十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 長野県上林温泉より(せきや旅館前の桜花の絵はがき)〕

 十月十一日、日曜日、晴。
 十月三日づけのお手紙を昨日いただきました。私の生活のうまいやりかたについて考えて下さり、本当にありがとう。この頃私は痛切に考えていたことでしたから。ゆっくり手紙を書きますが、とりあえず。林町では国男が盲腸でケイオウに入院し、一時間半かかる手術をしましたそうです。イマそのハガキを見ました。そのゴタゴタもあって、咲枝はあなたにさし上げる夜具をまちがえて送ってしまいましたが、あとでとりかえますから、何卒《なにとぞ》あしからず。
 シャツ、薄いもの上下、まだ届きませんかしら。冬のはまだ早いと思い、毛の薄いのを入れましたが。
 これが私のいるせきやさんの一家です。左手の障子がその家。もっとも十年ほど前の様子ですが。この桜並木はよく、皆の顔の向きに山々の眺望があります。お大切に。
〔欄外に〕本のことはよく分りました。こんどは忘れっこなし。

 十月十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 長野県上林温泉より(上林温泉から渋温泉を望む風景の絵はがき)〕

 十月十一日、日曜日、きょうの午後、この宿の裏の方に新しく建った二階の方へ移り、やっと落付きました。十日ばかり、ほとんど毎日野天で昼間は暮らし、大分日にやけ、足が達者になりました。スキーで有名な志賀高原へ一昨日行きました。新しいドライヴ・ウエイを二十分ばかりのぼると杉、松、栗、柏などの見事な喬木の森がつきて白樺、つつじ、笹などの高原植物になります。石ころ道の旧道を、冬ごもりの仕度に竹、木材、柴など背負い、馬につんだ農夫がうちつれだって下ってゆきます。高原の頂に国際観光ホテル建造中です。
 この川が流れて千曲川に合します。この手前にやや濃い山の左手に長野がある。更に左手のこのハガキからはずれたところに雪をいただいた日本アルプス(北)が見えます。落日を受けて美しいのはこの遠くかすんだ山々です。田は収穫時です。お湯は一日一度です。どうぞ御安心下さい。
〔欄外に〕夜も早ねをして居ります。

 十月十二日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 長野県上林温泉より(川中島方面の写真の絵はがき)〕

 十月十
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