秋の花をお目にかけたいけれど、せっかく花を入れてあげてそれがなくなってしまって居たりすると惜しいからおやめにいたします。押して色をうつしてあげるにはあまり鮮やかに咲いていて可哀そうなの。女郎花《おみなえし》、撫子《なでしこ》それから何というか紫のまるい花と白とエンジ色のまことにしゃれた花と。それがコップにさして机の上にあります。
私はこれから髪を洗います。そしてさっぱりして仕事をします。きのうはお暑かったでしょう。きょうはからりとしていて凌《しの》ぎよいが。――この手紙を御覧になる頃にはお目にかかります。
九月七日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
第十信 八月三十日から。
この頃私はこの手紙が日記のようなものですね。又くつろいだお喋り。親密な会話。頭の中でつきつめたことの独白――もう一人の自分に向っての。そういう風ね。私は自分の全生活の波、色、響をあなたのところへ一つものこさずつたえて、それでくるんであげたい。むきになって仕事をしているときのつめよせた調子までも。一貫した生活のトーンで、私の生活の波長をはっきりお感じになるというのは、私にもわかる。そして、私は、はっきりそのことを感じてもいるのです。私の生活の響が応えられていることを。
さあ、本当にこうしていないで髪を洗わなければ。さっきの手紙を封をしてまだテーブルの上におき、私はもう次のたよりの冒頭をかいているのです。
九月七日
一週間とんでしまいました。あなたは二十九日には手紙を書いて下さいませんでしたか? 日曜日(六日)には大変待っていたのだが。――私は今病気なの、珍しく。変に黒い突出たような眼玉をして。三十一日の朝(この前の手紙をあげた翌日)起きるのが苦しかった。無理をして約束の築地の稽古場へゆき一時間半ほど熱心に話をしてくたびれてかえったら悪寒がして熱が四十度ばかり出ました。夜中だったがお医者を呼んだら喉が少し赤いというのでルゴールでやいてね、冷やしたり、おなかをあっためたりそんなことをして、どう原因があるということもはっきりせず今日やっと平熱になりました。
眠って、眠って、眠って、まるでそういう病気のようでした。きょうは眠くないの。皆心配してくれ、稲ちゃんは私が仕事をしすぎているから断然当分呑気に休まなければいけないという主張です。本当にそうするかもしれません。これがなおって起きて歩けるようになったら全く仕事をしないなどということは出来ないから、仕事を持ってでも栄さんとどっかの温泉へでもゆきたいと思って居ります。こんなにへばったのは何年にもないことでした。四月に慶応に入院していた時より弱った。まだ臥床。おカユ。食欲が出ないでいけません。私はどんなに参ってもすぐ食欲は恢復したのに、癪《しゃく》ね。今日は私は癒る確信がつきました。御安心下さい。本当はね。笑い草ですが、余り頭が苦しくて昏々《こんこん》と眠るからね、もしかしたらこの頃流行の嗜眠性脳炎ではないかと思って、もしそういう疑いがあれば正気なうちにあなたに手紙を書いて置こうと思ったの。書くと云ったって結局今の私の心持で何も特別なことはないわけですが。どこを区切りにしたって違った色の血は私の体の中を流れて居はしないのだから、ね。
あなたの方の御工合はいかがですか。すこしはましになりましたか? 私は病気になったりしたのを恥しく思う心持があります。勿論過労からであったにしろ。やっぱり自分の健康の事情を十分理解しないで熱中したりした思慮の不足がある。
久しく途切れたからこれを書き今日はこの位でもう出します。この頃は時候がわるいらしいから呉々お大事に。こんな空を見て臥《ね》ているのは残念ですね。
九月七日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(山下新太郎筆「東山と萩」の絵はがき)〕
九月七日夜。今夜八日ぶりでお湯をつかい、お茶をのみに食堂へ来てこれを書きます。私の体、御心配をかけましたが、単純な疲労が重ってひどくこの残暑でやられたらしいのです。ひどく汗が出て出て、皆に、お前がたこんなに汗が出るかと訊いていたうちに疲れを重ねて居たのだったらしい様子です。御飯もきょうからたべます。背中の痛いのもすこしましになりました。栄さんがよく来て電気をかけてくれます。きょうは稲ちゃんも見舞いに来てくれ、ゆっくり休むよう呉々も云ってくれました。どうかそちらでもお大切に。
このエハガキはもう四、五年以前のもののようです。二科や院展がはじまったから新しいエハガキを御覧にいれましょう。南画会が小室翠雲と関西派との衝突で解散した由。残暑をお大切に。本当にお大切に。
九月十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(青鉛筆書き 封書)〕
九月十一日 第十一信
きょうはひどく風が吹くので暑さが乾
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