が、この間達治さんが広島へ入営したとき、私がお送りした御餞別の僅かな金で、黄色いメリンスの幟《のぼり》をおつくりになりました由。その手紙をお母様からいただき、私はいろいろ感服いたしました。
私の机の上に一寸想像おできにならない物品がふえました。寒暖計。今五十度です。林町の母の臨終の枕元にあったものの由です。というのは私はその時、迚《とて》も寒暖計などは目に入れる余裕がなかったから。この頃の朝六時前後は何度かしら。○下何度かしら。尤もここのでは分らないようなものであるが。大体風の天気がつづいて感心しませんね。
きょうは二月十七日の日曜です。きのう一昨日はすっかり春めいて暖かであったがきょうは又|時雨《しぐ》れている。そして寒い。この部屋はよく日の当る時で五十三四度。今のように寒いと四十六度ばかりです。四十六度は華氏で摂氏だと八度です。五十五度が十度よ。
十三日の誕生日にはスエ子からインクスタンドと父から柱時計を貰いました。インクスタンドは黒い円い台の上にガラスの六角のがのっていて、黒いフタのついたもので、しっかりとした感じです。柱時計は皆の意見によると私に似ているんですって。つまりずんぐりなのです。父もお前に似たのをさがしたと申しました。どちらかというと粗末なものなのだけれども、これで私は時計はどれもそれぞれ因縁のあるものをもっていることになったし、寒暖計もあり 馬のついた文鎮、ガラスのペン皿もあり、それぞれのものが皆私の机のまわりで様々の物語りをして生きているようです。下には長火鉢も茶だんすもあるし。
スーさんがなかなかいい詩をかいたし、栄さんが面白い短篇をかいたし、活溌です。私は一昨年書きかけていた小説を今の心持で書き直して完成させるつもりです。
この頃は、寒いといっても気温がゆるみました。私はどうかして夜更かしをせず早起きをして、仕事をして行きたいと思います。長いものを書くためには徹夜などもってのほかですからね。このためには大分がん張らないとどうしても夜更かしになるから困ります。稲ちゃん一家は、徹夜が日常です。こまったものね。今度の手紙はこれで一まずおしまいにいたします。リンゴをあがって下さい。きっときっと。
二月十七日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 上落合より(国枝金三筆「麗日」の絵はがき)〕
二月十七日 日曜日。
外で鶯の声がきこえますけれども又曇って寒いこと。用事を申しあげます。島田父上からお手紙にて、松山の学校の頃のお金は八円何銭とかであったが、それはもう当時に支払ってあるから安心するようにとのことでした。島田では達治さん御入営後、いい運転手が来て車を大切にするので母上およろこびです。リンゴをお忘れなく召上って下さい。
三月十七日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 上落合より(封書)〕
第九信 二月二十日の夜。かき始める。風が強い。遠くに犬の吠える声がする。
きょう島田から達治さん入営の時の写真が届きました。島田のお家の前の往来に一杯御父上、母上、軍服を着た達治さん、むっつりした隆治さん、国旗を手にした信吉叔父上その他を中心に見送りの男の人達が円く溢れたところをとったものです。あの狭い往来のこちら側からむかい側の軒下まで人でつまっていて、もしバスがあのときやって来たら、きっとバスの方で待たなければならなかったであろうと思われるほどの盛況です。御母上様が丸髷でお手をちゃんとそろえ、いかにも「……ちょります」という風におうつりです。達治さんはすこし人に当てられ気味の表情です。幟がいく本も立っている。私の分としてこしらえて下さったという黄色いメリンスのというのはどれだろう、これがすこしダラリとして重みがあるようだからこれかしらなどと栄さんと話しました。きょうはもう一つ写真が出来て来た。それはいねちゃんと私とが大きいアルミの薬《や》カンをかけた私のうちの茶の間の火鉢をさしはさんでとったもので文学雑誌のひとがとったのです。いつかやはり別の文学雑誌が私の机の前にいるところを横からとったのがあった、それに似ているという話です。
きょうは二月二十日で、いろいろの感想をもって暮しましたが二十三日におめにかかりに出かけますから、この手紙よりどっち道私が先にお会いすることになりますね。
何とおかしいのでしょう。今これを書いていて、あなたのお体はどうかしらと考え、それを伺うと、実際は私がお会いした後の御様子をきくことになるのですものね。
着物のことも、そのほか本のことも、おめにかかって伺いましょう。きょうは久しぶりで机の上に赤いバラの花を一輪買いました。きょうまでは、正月の二日に国府津の山で採った梅もどきの実をさして居りました。よくもちました。
私は今、どういっていいかしら、一寸面白い心持でこの手紙を書いて居るのです。心のしんでは、そして頭では、ひどくこれから書く小説のことについて集注的になりながら、何かそのための媒介物のようにこうやってこの手紙を書き、段々心持の落付きを深く感じつつあるの。
私の机の上には又、レビタンというチェホフ時代の風景画家の描いた「雨後」という絵をハガキにしたのが一枚ある。非常にうるおいあり情趣あるリアリズムの画で、北の海フィンランド辺の海の入江の雨後の感じが活きて居ります。フィンランド辺の海は真夏でもキラキラする海面の碧《あお》い反射はなくて、どちらかというと灰色っぽく浅瀬が遠く、低く松などあって、寂しさがある。波もひたひたなの。濤の轟きなどという壮快なのはない。虹ヶ浜へは去年のお正月行って海上の島の美しい景色を眺めました。でも大変風がきつかった。そして、さむくあった。
黒海は実に目醒めるばかり碧紺の海の色だのに、潮の匂いというものはちっともしないので、私は、あらこの海、香いのない花! と云ったことを覚えて居ります。日本の海はそういう点だけから見ればやはり相当ようございますね。
湯ざめがして来てさむいのに、海のことを書いていて猶寒い。あなたはもう六時間ばかりするとお起きになるでしょう。よくお眠り下さい。たのしい夢ならば見るように。
中絶してきょうはもう三月の十七日です。一つの手紙でこんなに永くかかるのは珍しいでしょうね。
きょうも風がつよい。日曜日です。そしてあなたのお誕生日の十七日。九日から毎日ボーイがお使いに来て書けた丈の原稿をもってゆくという風で十三日の朝七時頃すっかり七十二枚かき上げました。小説としてよいかわるいかとにかく全力的に書いたことだけ自分にわかって居ると申す工合です。いずれにせよ、「小祝の一家」よりはよいのだから、私はあなたにあれしかよんでいただけないのが大変残念なわけです。
ところで、十三日は母の命日故、一睡もしないうち林町へ法事に出かけ前後一週間、眠ったのかおきたのか分らぬ勢で仕事をしたためすっかり疲れ、未だに体がすこし参って居ります。
手紙は大変御無沙汰になって日づけを見ると、殆ど一ヵ月近くかかなかったことになりました。御免下さい。御注文の本のことはきっとはかばかしくゆかないのでいろいろ御不自由と思いすみませんが、段々うまく致します。この間うち私は血眼だし、ほかのひとに書きつけを書いて貰ったら、もしや私が病気ではないかと心配なさりはしまいかと思ったりして本まで少しおくれました。間をおかず昨日と一昨々日送り出しましたが、どうかしら。
ともかくこの手紙は何か遑《あわただ》しく半端ですが、これだけにして送り出します。『辞苑』辞書としていいであろうと思うがいかがでしょうか。すぐ又書きます。林町の皆からもよろしく。
三月二十五日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 上落合より(封書)〕
第十信 三月二十日 水曜日
今この手紙の中には太郎の泣き声が混って居ります。林町の食堂の真中のテーブルで、太郎がねむがって泣き立てているところで書きはじめました。きょうはいろいろ賑やかな日でした。
先ず昨夜久しぶりでいねちゃんがやって来た。春めいた日だったので、私は家じゅうをあけ放し、来ていた女の客としゃべっていたら門の中の板塀の下から見馴れた羽織が見え、いね公やって来たら、長火鉢の前にぺたぺたとなってニヤリニヤリ笑うだけでろくに声も出さないの。大腸カタルのひどいのをやって、もう殆ど三週間経ちますがまだやっとおもゆ[#「おもゆ」に傍点]の親方をたべているところ。春の風にふらふらやって来て、おまけに近所の原っぱへ私を散歩につれ出そうとしたのですって。それどころでなく、夜はお魚のスープをこしらえて御飯をスーさん、栄さんとりまぜ四人でたべ、丁度送って来た『文学評論』などよみ、いろいろ話し、十二時頃になった。
行って送ってあげようと云っているうち、私はきょうの用事を思い出しついでに一つふろ敷包みをこしらえてそのまま林町へ来ました。配膳室のドアをわざとコトコト叩いたら、内の連中は時間が時間だし何が来たのかと一どきにこっちを見ている。そこへ私が現れたというわけ。
けさは、二階に眠っていた父(私の来たのを知らないから)がおきたのをききつけて、洗面所でバシャバシャやっているうしろからいきなりびっくりさせ、それから電話を一つたのんで、又こんどは二階のおやじさんの空巣へもぐり込んで例によってお眠りブー子をやって、おきて来たら、すぐ私のいつも坐るところのテーブルに、あなたからのお手紙(父宛に、三月十四日にお書きになった分)がのっていた。封が切ってある。父が読んで私の目につくところにわざと置いて出かけたのでした。家じゅうのものがよみ、特に咲枝は太郎の生後百日目の食い初め[#「食い初め」に傍点]のお祝い日であったのでうれしかったらしく、夕方、ハガキであなたへのお礼を書いて居りました。父は、深く心を動かされたらしく却って私に向っては何も云えない風で、しきりに島田のお父さんのこと、あなたは何か不自由なものはないか、金はあるのだろうかなどきき、朝は、私が電話をかけておいて下さいとたのんだ法律事務所へ自身出かけて行ってくれました。
私へ下さる通信の書籍の名で占められている部分、また非常に要約された文章、またはあるときは全く言葉としては書かれていないことがあっても、私に感じられているものが、父へのお手紙の中には横溢されて居るのを感じました。くりかえしくりかえしよみました。私はこの頃非常に小説を書きたい心持になっているのでお手紙から受ける感情はすべて、その方向に私の心の中であつめられ、鼓舞となります。ありがとう。
(今日は前半を書いた日から五日経った三月二十五日です。ひどいひどい風。空にはキラキラ白く光る雲の片が漂って、風はガラス戸を鳴らしトタンを鳴らし、ましてや椿《つばき》、青木などの闊葉を眩ゆく攪乱《かくらん》するので、まったく動乱的荒っぽさです。春の空気の擾乱です。二階には落付いていられない。机の前は西向の窓でいたって風当りがつよく、下落合の丘陵から吹きつける風で、いつかは障子がふっ飛んで手摺を越し下の往来へ落ちた。今は下で、茶ダンスの横に、坐る大きい三つ引出しの机がある。そこでこれを書いて居ります)
『中央公論』の「乳房」は伏字がなくてうれしゅうございます。出来、不出来は当人には今のところ不明です。一生懸命にとにかく体当りでやったから却ってそんな風なのでしょう。重吉という男の細君のひろ子という女の活動の間での心持を主として描いたのです。一昨年の秋百枚近く書いてあった、あれをすっかり書き直し、いわば全く別ものがそこから生れ出したという工合です。
これを書いて、いいことをしたと思います。これを書き直し、ものにしないうちは外のものにとりかかれぬ気持の順序でしたから。――
この小説をかいたので、『社会評論』に半年契約で書いている女の生活についての感想は四月やすみました。きょうこの手紙を終ってからその支度。
ところで、きょうは風のひどいほかに、私は落付かない心持がして居ります。ほかでもない、あなたに御入用の本のことについて裁判長にやっと明日面会できる始末だから。先週は祝日があって、一日おき
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