館か何かの人が裃《かみしも》を着て豆をまきに護国寺へ出かけたのだそうです。私はおふろの中で赤毛碧眼の若いひとが裃をつけてどんな発音でフクワうちと叫ぶであろうか。もしかしたらフキュワーウチというであろうと可笑しく、そのラジオならきいてもよいと思いました。
二月の十三日は私の誕生日と母の命日とが重なるので何か特別よいことはないかしらと今からたのしみにして居ります。あなたはそれを覚えておいでになるかしら、忘れていらっしゃるかしらなど、中川でおべん当を注文する折考えました。
ところで、二日にお目にかかって、私は本当に安心いたしました。三十一日に電報をいただき、一日都合よく行かなかった間はいろいろ心配――単純にそうでもないが、心労いたしました。二日には、あなたがそれまで二度お目にかかっていた時よりずっと馴れて、顔つきにも体つきにもあなたらしい流動性が出ていて、大変うれしく、本当にうれしかった。晴れやかな心持でかえりにいねちゃんのところへよったら、やっぱりよかったねとよろこんで、鶴さん[自注2]が何とかいったら、いい機嫌なのによしなさいよと云うから、私は平気さ、何と云おうと鶴さんのいうことなら自分の手足で自分をぶつようにしか感じやしないと笑いました。
本がどうして順よく届かないか私には想像も出来ない。どうか都合よくゆくように。二日にお話のあった事については島田へ申上げて伺いましたから御安心下さい。弁護士の事も心当りを調べましょう。弁護士については御意見を直接におきき出来て大変よかったと思います。信吉叔父上は少し考えちがいをして私にお話しになっていました。
二月は短い月だのに小説を『中央公論』にかかねばなりません。お正月の間は格子の上のはり紙をはがしておいたけれども又明日あたりから「まことに勝手ながらこの次お出で下さる時は火金曜日の午後にお願いいたします」を貼りましょう。実にいろいろなひとが来るものだと感心する位ですから。――
一月の二十三日に行ったとき、売店から梅の鉢を入れるよう頼んだのですが、どんな梅がはいりましたろう。この家の庭に山茶花はあるが梅はありません。門を入ったところには、それでも赤松が一本あるの。私は、ホラ先《せん》動坂の家へ咲枝[自注3]が持って来てたべた虎やの赤い色のお菓子、ああいう系統の色の紅梅がすきです。ほんとにどんな梅が入ったかしら。白いにしろ紅いにしろともかく梅が入ったかしら。――どうも漠然たるものですね。
運動の時間、あなたはどんなことをしていらっしゃいますか。心臓の抵抗力を弱めないよう、例えば朝体操をする時など柱でも壁でも爪先で体を突っぱってうんと押して力を出す事もよいらしゅうございます。私の心臓がひどくなったのも運動不足による衰弱です。どうかお気をつけになって下さい。それからお風呂の時桶や湯槽《ゆぶね》の縁をよく注意して、眼へバイキンなど入れぬよう、呉々お願いいたします。私の心配と云うのも謂わばそのようなことが主なのですから。――
今夜本当は帝劇へベルクナーという女優が主演している女の心という映画を見に行こうかと思っていたのでしたが、家の中をコトコト動いていたので駄目。新交響楽団のベートウベンをずっときいているのですが、今度はパスをくれそうです。そうしたらうれしい。うちにピアノがほしいけれどもピアノがあったらよしあしだろうからそれよりレコードをきけるようにしたいと思っています。国府津へ国男が父親になった記念に大変いいラジオをすえつけて上げたので親父さんはもう、東京だと思って聞いていたらそれは上海であったというようなことがなくてすみます。箱根山の関係で、これまでのでは調子がわるく、うまくきこえるのは却って遠いそっちの方なのでした。いつか二人で聞いていて、私がそれを発見し大笑いをいたしました。
近々に太郎が、生後まだ六十日ばかりのヒヨヒヨながら伯父様、即ちあなたに誕生最初の敬意を表して何か本をさし上げるそうです。湯ざめがして来たから一旦これでおやすみ。本当に床に入るのです。
次の日の午後四時頃。(五日)雪どけの雨だれの音がしとしととしている。下の、北向きの部屋の濡椽には雨だれのしぶきがかかって下駄がぬれてしまった。
きょうは久しぶりで髪を洗い、さっぱりしたと同時にクタクタになってしまいました。昼湯というのへ実に久しぶりにはいりました。私はどういう性か、子供の時分から髪を洗うととてもくたびれて、元は病気のようになったものです。さっき髪を洗って長火鉢のところでお茶をのんでいたら、トルストイの結婚の幸福の中に、女主人公である娘が、領地のテラスで湯上りで、ぬれている髪に白いきれをかぶってくつろいでお茶をのんでいるところへ、後良人となる男の人がゆくところが描かれていたのを思い出しました。
ああいうとこの描写でも上手《うま》いわね。とことんのところまで色も彫りも薄めず描写して行く力は大きいものですね。谷崎は大谷崎であるけれども、文章の美は古典文学=国文に戻るしかないと主張し、佐藤春夫が文章は生活だから生活が変らねば文章の新しい美はないと云っているの面白いと思います。しかし又面白いことは佐藤さんの方が生活的には谷崎さんのように脂《あぶら》こくはないのですからね。
(アラ、どうしたのでしょう、小学校のラジオが大きい声で、株の相場を喋り出した。三十八円|十《とお》銭ヤスだなどと喋っている。このラジオで朝子供らが体操をやります。徹夜したり、早起きしたりした朝私は二階の窓からその校庭の様子を目の下に眺めます。)
この間の音楽会で広津さんにあいました。いつも元気ですねと云っていた。私が『日日』にかいた随筆のことをいっていたのです。さっきその原稿料が来た。短いもの故わずかではあるが、ないには増しです。
あなたの召物や何か、これからは本のようになるたけお送りします。いろんな意味で流行《はや》っている本もお目にかけますから、どうぞそのおつもりで。きょうはこれでおやめにいたします。私は毎日、特別な心持でポストをあけて居ります。
追伸。お下げになった夏の着物は三日ばかり前につきました。
[#ここから2字下げ]
[自注2]鶴さん――窪川鶴次郎。
[自注3]咲枝――百合子の弟の妻。
[#ここで字下げ終わり]
二月十七日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 上落合より(封書)〕
第七信 二月七日の夜からはじまる。木曜日。下弦の月。さむし。
こんばんは。今、女の生活のことについての二十枚近いものを書き終り、タバコを一服というような、しかし心の中にはまださまざまの感想が動いているという状態で此を書きます。すこしくたびれた。今、口をきく対手がない。だから、これを書きます。昨日は今年の中で一番寒い日でしたそうです。品川沖へ海苔とりに出たお爺さん漁師がモーターが凍ったところへいろいろ網にひっかかったりして不幸にも凍死したという話があります。私はゆうべも仕事をしていたがあまり寒いので寝てしまいました。寝ながら、さむいといってもここには火鉢があるということを非常にはっきり感じました。あなたは霜やけにおなりになりませんか? 足の指に出来ていませんかしら。よくこすることです。塩をつけてこするといいという話をきいた覚えがあるがどういうものかしら。こんな紙に書いたのを御覧になるのは実に久しぶりでしょう。しかし不思議なもので、字はこれで手紙の字が書けていたのお分りですか? 原稿の字ではない。心持がちがうから、原稿のとおりには書けない。面白いものね。
さて、おとといの晩、栄さん夫婦とシネマを見たことをすこしお喋りいたしましょう。グレタ・ガルボというスカンジナビア生れの女優が(特色のある顔つきの名女優です)クリスチナ女王というのをやった。何しろ早稲田の全線座というので、特等三十五銭で見るのだから、少し気のきいたところはすっかり廻っての果です。スウェーデンの若い女王クリスチナがスペインから王の求婚使節になって来たある公爵だかと、計らず雪の狩猟の山小舎で落ち合い、クリスチナが男の服装なのではじめ青年と思い一部屋に泊り、三日三晩くらすうち(ここはすっかり切ってあって不明)クリスチナが女であることがわかり互に心をひきつけられて別れる。御殿へ出て、はじめてクリスチナの身分がわかり、結婚をする気でいた野心家の貴族との張り合い、その他所謂映画らしい、いきさつがあって、クリスチナが到頭退位してそのスペインの男が帰国する船へかけつけると、当の対手は敵役に決闘をしかけられ既に瀕死。クリスチナに介抱されつつ死ぬ。クリスチナは夫が二人で住もうと云った崖の上の家へ住むために船出するところで終り。ガルボは、いい女優の特長として幅があるし、流動的だし、含蓄があるし、私は好きな女ですが、この平凡で謂わばセンチメンタルな映画を見て、私はどっち道不幸なめぐり合わせを描写して涙をこぼさせるようなのは、すきでないと感じました。この私の心持から或一つの話を思い出します。大変裕福に、大変愛され、何不自由なく育って多分高等学校にいるある家の息子が、そのおかあさんに、母様何故活動なんかが好きなんだろう。ひとの不幸や悲劇や、そんないやなものをわざわざ見てどこが面白いの、と云ったのだって。
お母さんは 私閉口しちゃったけれど、やっぱり観に行くわ、と楽しそうに忍び笑いをして、デモ、もうあの先生は誘わないの、と私に云いました。その話を思い出した。これは私がいやだというのとはちがうのですけれどもね。今の世の中に、そういう心持の青年も生きているというのが私に印象つよいわけです。
そう云えば『白堊紀』がそろって手に入りました。芝のおじさんが今月中にひっこすのですが書画骨董が多いのでその始末に閉口中。林町の父は、この頃ちょくちょく旅行に出かけ用事なのですが、正月には御木本真珠を見に山田へ行った話、まだ申しませんでしたね。御木本さんは元ウドンやだったそうで、その頃使った臼が故郷の山にしめを張って飾ってある由。そして先頃赤しおで真珠をやられたとき東京の支配人に打った電文は「アスカラテンコウツカエ」でした由。テンコウは砂糖のうちでやすい、赤っぽいてんこ砂糖です。一風あるでしょう。息子さんはラスキンの研究家で、元オーキという婦人服やのあったところへ茶をのませる博物館めいたものをこしらえています。ローザというのがラスキンの愛した女のひとであったそうで、ストーブのれん瓦にも、盛花にもバラ、バラ、バラ。よく私が服のかり縫いに行ったところが、どこやら面影をとどめながらそのラスキンハウスになっているから、この間父、スエ子づれで行ったら何だか可笑しかった。父がそのバラずくめを見て、例のふりかたで頭をふって曰ク「まだ子供だ」。でもミキモトさんはもうお父ちゃんなの。私は余技アマチュアというものの主観的な特長を一席実物について父に話してきかせました。
おや、耳の中がキーンと云う。変ね。そろそろ寝ろとの知らせでしょう。馬のついた文鎮をのせて又この次。
今は八日の午後三時。ひどい風の音にまじって、隣家の庭で炭やが炭をひいている音がきこえます。小学校の校庭の騒ぎはまさに絶頂。風でがたつく障子を眺めながら私は考えている、この家は仕様がないな。斯うすき間だらけでは、と。
私は大変風がきらいなことを御存じだったかしら。このことと、むき出しの火を見ることが好きでない点は父方の祖母のおき土産です。おばあさんは、貴方御存じないけれども南風の吹く日はやたらに忙しがって用もないのにお離れでコトコト動いて、私が「おばあさま、どうなすったの」ときくと、「きょうは、はア、南風が吹くごんだ」と云って、あわてているの。春になって南風が吹くと私も閉口いたします。きょうは、夕飯を林町でたべて夜下町へ用事で出かけます。街燈のない広い大通りは宵のうちから淋しいものね(ではまた)
もうきょうは十一日。何という日の経つことは速いのでしょう。きのうは雨のふる中を田圃道をこいで歩いてすっかりくたびれてしまいました。
あなたに申し上げるのを忘れました
前へ
次へ
全5ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング