二人の話せるあらゆる話題について話し、少しくたびれると、いねちゃんがタバコをのみながら(この頃のむようになった)詩集『月下の一群』を棚からおろしてよんだりし、又いろいろ話した。
今日になれば去年になったが、夏四日ばかりその時はター坊から父さんから一家づれで、毎日潮浴びをやって暮したことはまだお話ししませんでしたね。私はあのストーヴの前へ坐ったり、ソファへ横《よこた》わったりする毎に、常に一定の内容をもった思い出にだけとらわれるのは苦痛であるし、一方から考えれば決して健康と云えぬし、又其のような状態をおよろこびにならないこともわかるので、新しい、今日の生活としての内容をつけ加えてゆこうと思い、それもあってあの一家に大いに活躍して貰ったのでした。二日の晩は、随分二人の女房がいろいろ話し合いました。やっぱり車の両輪です。細君というものはなかなかむずかしいという話が彌生子さんの「小鬼の歌」につれて出て話し合いました。
知識人の生活のことについて舟橋は何もしないのはわるい、何でもやれという気になって来て、あっちこっちで云われているが、そのことにしろ、やはり女の利口さというものが抽象的に云われ
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