いか知ら?

 第四信の附録。
 一九三五・一・五日夜(手がつめたくてきれいな字でなくなって御免下さい。)
 今夜はあまり風が烈しくガワガワバタバタと庇《ひさし》のトタンが鳴り、且つ手がつめたく新しい仕事にかかる気がないので、又一寸かきつづけます。
 さっき、『クロムウェル伝』を入れるようにかきましたが、これはあっちこちをよんで見て今おやめに決定いたしました。カーライルの例の文章でクロムウェル書簡の間に生涯を研究したもので且つ第一巻きりでは大したことがない。それだからおやめにしてランゲを入れましょう。
『科学者と詩人』とは訳者の調子がわざわいしてやや甘たるいところが過重せられていると信じるが面白うございます。序論を一二頁よんだだけであるけれども。この次この人の『科学と仮説』を入れましょう。こちらの訳をしたひとは平林氏ではないから文体も違っているでしょう。私はこの偉い人の『科学の価値』という本の手ずれた表紙を常に親愛をもって眺めていたが、それはその手垢に対する主観的親愛に止っていたのだからこれを瞥見して苦笑して居ります。

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[自注1]スーさん――中野鈴子。
[#ここで字下げ終わり]

 二月五日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 上落合より(封書)〕

 第六信。
 二月四日 晴 月曜日
 こんにちは! きのうの雪はいかがでしたか。おとといお目にかかった時は曇ってはいたがこんなに積ろうとは思いもかけませんでした。きょうは朝のうち『文芸』の随筆をかいて送って、それから雪どけの外気を家一ぱいに流しこんで掃除をして、フロをわかして、すっかり独りでやったのでくたびれてしまった。屋根から雪がすべるひどい音が時々しました。もう今は夜も十一時すぎですが、不図ねる前にすこしこれをかきはじめました。私の手紙はあまりいつも長篇故これは短篇にしようと思っているのだけれど、果してうまく行くや否や? そして字も少しぱらりと書こうと思うのです。
 夜の八時頃実にいい気持でお風呂につかってポーとしていたら、あっちこっちのラジオが急におぞましき音でオニワー何とか、何とか何とかワーッと鳴りたてたのでびっくりして耳を立てたら、それは、どこかで年男が節分の豆まきをしているのを中継しているのでした。何だか馬鹿らしく滑稽で私はお湯の中で笑い出したけれど、今年の豆撒きにはイギリスとかアメリカの領事館か何かの人が裃《かみしも》を着て豆をまきに護国寺へ出かけたのだそうです。私はおふろの中で赤毛碧眼の若いひとが裃をつけてどんな発音でフクワうちと叫ぶであろうか。もしかしたらフキュワーウチというであろうと可笑しく、そのラジオならきいてもよいと思いました。
 二月の十三日は私の誕生日と母の命日とが重なるので何か特別よいことはないかしらと今からたのしみにして居ります。あなたはそれを覚えておいでになるかしら、忘れていらっしゃるかしらなど、中川でおべん当を注文する折考えました。
 ところで、二日にお目にかかって、私は本当に安心いたしました。三十一日に電報をいただき、一日都合よく行かなかった間はいろいろ心配――単純にそうでもないが、心労いたしました。二日には、あなたがそれまで二度お目にかかっていた時よりずっと馴れて、顔つきにも体つきにもあなたらしい流動性が出ていて、大変うれしく、本当にうれしかった。晴れやかな心持でかえりにいねちゃんのところへよったら、やっぱりよかったねとよろこんで、鶴さん[自注2]が何とかいったら、いい機嫌なのによしなさいよと云うから、私は平気さ、何と云おうと鶴さんのいうことなら自分の手足で自分をぶつようにしか感じやしないと笑いました。
 本がどうして順よく届かないか私には想像も出来ない。どうか都合よくゆくように。二日にお話のあった事については島田へ申上げて伺いましたから御安心下さい。弁護士の事も心当りを調べましょう。弁護士については御意見を直接におきき出来て大変よかったと思います。信吉叔父上は少し考えちがいをして私にお話しになっていました。
 二月は短い月だのに小説を『中央公論』にかかねばなりません。お正月の間は格子の上のはり紙をはがしておいたけれども又明日あたりから「まことに勝手ながらこの次お出で下さる時は火金曜日の午後にお願いいたします」を貼りましょう。実にいろいろなひとが来るものだと感心する位ですから。――
 一月の二十三日に行ったとき、売店から梅の鉢を入れるよう頼んだのですが、どんな梅がはいりましたろう。この家の庭に山茶花はあるが梅はありません。門を入ったところには、それでも赤松が一本あるの。私は、ホラ先《せん》動坂の家へ咲枝[自注3]が持って来てたべた虎やの赤い色のお菓子、ああいう系統の色の紅梅がすきです。ほんとにどんな梅が入ったかしら。白いにしろ
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