二人の話せるあらゆる話題について話し、少しくたびれると、いねちゃんがタバコをのみながら(この頃のむようになった)詩集『月下の一群』を棚からおろしてよんだりし、又いろいろ話した。
 今日になれば去年になったが、夏四日ばかりその時はター坊から父さんから一家づれで、毎日潮浴びをやって暮したことはまだお話ししませんでしたね。私はあのストーヴの前へ坐ったり、ソファへ横《よこた》わったりする毎に、常に一定の内容をもった思い出にだけとらわれるのは苦痛であるし、一方から考えれば決して健康と云えぬし、又其のような状態をおよろこびにならないこともわかるので、新しい、今日の生活としての内容をつけ加えてゆこうと思い、それもあってあの一家に大いに活躍して貰ったのでした。二日の晩は、随分二人の女房がいろいろ話し合いました。やっぱり車の両輪です。細君というものはなかなかむずかしいという話が彌生子さんの「小鬼の歌」につれて出て話し合いました。
 知識人の生活のことについて舟橋は何もしないのはわるい、何でもやれという気になって来て、あっちこっちで云われているが、そのことにしろ、やはり女の利口さというものが抽象的に云われないように、宙では内みが何になるか、やはり手ばなしには云えないことです。三日は午後から外が明るい中にかえろうといいつつ、いね公がグーグーひるねをしてしまっておくれて八時すぎに汽車にのり、かえったのは十一時頃。私は自分の二階に横になって吻《ほ》っとしたような心持ちをつよく感じ、自分がこのわれらの家をどんなに愛しているかということをはっきり自覚しました。
 あなたは勿論一度に手紙を二通おかけになることは御存知でしょうね。
 きょうは本当に寒い。栄さんが、かけていらっしゃる布団と同じ布の坐布団を縫ってくれたのできょうはそれの敷き初めをしました。これを書いているのは五日の午後四時前。障子を新しく張り代えたので、室内は明るくテーブルの上には赤い梅もどきの一枝がさしてある。火鉢のやかんからは湯気を立て。――かぜがはやって居りますが大丈夫ですか? しもやけなどは出来ませんか。栄さんは早々と耳朶《みみたぶ》をかゆがって居ります。七日に、本は『世界文学総論』、カーライルの『クロムウェル伝』、『日本書紀』上・中、ポアンカレの『科学者と詩人』、『国富論』上を入れます。私によくわからないので伺いますが、例えば三冊もつづく本を、一時に三冊入れた方が御便利ですか、或は一冊ずつ三度に分けて他のものをいれた方が御便利ですか、このこと、忘れず御返事下さい。地図この次までお待ち下さい。すみませんが。岩波の『哲学辞典』を入れたいと思って居ます。いねちゃんが何かいい本を買ってくれるそうです。
 私のかいた第一信は何日かかってお手に入りましたか。キカイ体操はそちらにありますか? レンブラントのエッチングの絵はがきは届きましたか。ロンドンで買ったのが出たのでお目にかけたのでした。亀やの包みは先方であなたからの手紙を見せてくれなければなどと普通でない面倒なことを云ったので手間どり、年末にやっととりました。封印がしてあって、靴、書類カバン、セル下着類が出ました。中に裏だけの着物が一枚あり。表をはがして着ていらしったのであろうと理解しました。失われた時計については光井叔父上がたのんだ人からいろいろ手続中の模様ですが、役所ではその品物について一々詳細のことを私に訊くよう申すらしいのですが、どうして知って居りましょう※[#疑問符感嘆符、1−8−77] まして、帽子などまで! ねえ。困ったことです。この次こまかいことは伺います。
 私の健康のことについていつもあまり細々《こまごま》とは書きませんが、それは大体工合よいからのことであると御承知下さい。大変よく気をつけて居ります。清らかなる肉体と精神とです。どんな余計なくせもついて居りません。寝床で本をよむということさえ、やっぱり元の通り致しません。
 ところで、私の本が三月頃出たら、その印税で楽しみなことが二つあります。その一つは林町の父の親友たち爺さん達を招待して父をよろこばせること。もう一つは島田の父上の御隠居部屋をつくる資金の一部をお送りすることです。この計画は非常に楽しみで、そのために早く本を出したいとさえ思う位です。虹ヶ浜へ小さい家をかりてあげましょうかとも思ったが父上が家を離れなさることは不可能だから、お離れをこしらえて、そこでは埃をかぶらないようにしていらっしゃったらいいと、そう光井叔父上とも御相談したのです。これはいいプランでしょう? 私は娘であり同時に息子であるわけですからね、こういうことの実際に当っては。金のなかなかもうからぬことは閉口であるが。私はいい思い付はどんどんやることにきめて居ります。賛成でしょう? 余り細かい字でお目にわる
前へ 次へ
全11ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング