かったらしく、夕方、ハガキであなたへのお礼を書いて居りました。父は、深く心を動かされたらしく却って私に向っては何も云えない風で、しきりに島田のお父さんのこと、あなたは何か不自由なものはないか、金はあるのだろうかなどきき、朝は、私が電話をかけておいて下さいとたのんだ法律事務所へ自身出かけて行ってくれました。
私へ下さる通信の書籍の名で占められている部分、また非常に要約された文章、またはあるときは全く言葉としては書かれていないことがあっても、私に感じられているものが、父へのお手紙の中には横溢されて居るのを感じました。くりかえしくりかえしよみました。私はこの頃非常に小説を書きたい心持になっているのでお手紙から受ける感情はすべて、その方向に私の心の中であつめられ、鼓舞となります。ありがとう。
(今日は前半を書いた日から五日経った三月二十五日です。ひどいひどい風。空にはキラキラ白く光る雲の片が漂って、風はガラス戸を鳴らしトタンを鳴らし、ましてや椿《つばき》、青木などの闊葉を眩ゆく攪乱《かくらん》するので、まったく動乱的荒っぽさです。春の空気の擾乱です。二階には落付いていられない。机の前は西向の窓でいたって風当りがつよく、下落合の丘陵から吹きつける風で、いつかは障子がふっ飛んで手摺を越し下の往来へ落ちた。今は下で、茶ダンスの横に、坐る大きい三つ引出しの机がある。そこでこれを書いて居ります)
『中央公論』の「乳房」は伏字がなくてうれしゅうございます。出来、不出来は当人には今のところ不明です。一生懸命にとにかく体当りでやったから却ってそんな風なのでしょう。重吉という男の細君のひろ子という女の活動の間での心持を主として描いたのです。一昨年の秋百枚近く書いてあった、あれをすっかり書き直し、いわば全く別ものがそこから生れ出したという工合です。
これを書いて、いいことをしたと思います。これを書き直し、ものにしないうちは外のものにとりかかれぬ気持の順序でしたから。――
この小説をかいたので、『社会評論』に半年契約で書いている女の生活についての感想は四月やすみました。きょうこの手紙を終ってからその支度。
ところで、きょうは風のひどいほかに、私は落付かない心持がして居ります。ほかでもない、あなたに御入用の本のことについて裁判長にやっと明日面会できる始末だから。先週は祝日があって、一日おきのところがすっかり飛び、土曜日は、『文学評論』の用でだめでした。どうぞあしからず御察し下さい。
差入れの本は、いたって無秩序にしか入れられないですみませんが、こちらもこの頃段々様子がわかって来ましたから次第に工合よくなると思います。
この間の世界地図は、ひどいのでしたが、無きには増しと存じ、いまにもっとましなのを買ったらとりかえましょう。語学の本はもうつかっていらっしゃいますか?
坪内先生が死なれて、私はあちらこちらから感想をもとめられましたが、先生と私との間には所謂師弟としての絆《きずな》は浅くあったし、年の差以上の差が互の歴史性の上にあり、『文芸』にそのような短いものを書いたきりです。坪内先生の生涯を考えるにつけ、様々の教訓があるが、後進に対する包括力のひろさということ、客観性ということの重大さを深く教えられる。抱月が坪内先生の常識的モラルにあっては包括され得なかった点など、ね。面白いと思います。早稲田出の代議士が勲一等を貰ってあげようとしたがことわったことは、又先生の賢さの一面でしょう。白鳥が坪内先生によって文学の道を学んだのみならず、生死に処する道をも学んだと云っているのも興味がある。財産を大学に寄付し、しかも生活は安定であり得る方法において生死に処する道が見出されている。そこを白鳥が教えられたと感じているところ。
私は、相変らずいろいろのことを面白く観察し不自由な毎日の生活をもやはりそのように自分ながらあちらこちらから観察し暮して居ります。私はますます物事に深くそして広い感興をもち得る人間になりたいと思って居ります。体を丈夫にして、ね。それにしても、この風はマア、何だろう!
作家の感性のことについて。感性のことはやはり究極は見かたの問題だし、人を動かす作品の力がただ写実では足りなく、ロマンチックな要素がいるというAさんの見解もロマンチックというだけではずっているし、時間があったら一寸した作家としての経験を土台としてこのことをも書いて見たい。いろいろやりたいことが多く、私は自分が余り精力的でないナなど思います。今、私のところは女中兼作家の生活故、マア、ごみをためてもかくつもりです。
島田の父上のお体は相変らず。わかもとが大変お気に入って居ります。気は心だから、こちらからお送り致して居ります。達治さんは自動車隊ですってね。お母様のおたよりにありまし
前へ
次へ
全11ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング