た。芝のおじさんが今月中にひっこすのですが書画骨董が多いのでその始末に閉口中。林町の父は、この頃ちょくちょく旅行に出かけ用事なのですが、正月には御木本真珠を見に山田へ行った話、まだ申しませんでしたね。御木本さんは元ウドンやだったそうで、その頃使った臼が故郷の山にしめを張って飾ってある由。そして先頃赤しおで真珠をやられたとき東京の支配人に打った電文は「アスカラテンコウツカエ」でした由。テンコウは砂糖のうちでやすい、赤っぽいてんこ砂糖です。一風あるでしょう。息子さんはラスキンの研究家で、元オーキという婦人服やのあったところへ茶をのませる博物館めいたものをこしらえています。ローザというのがラスキンの愛した女のひとであったそうで、ストーブのれん瓦にも、盛花にもバラ、バラ、バラ。よく私が服のかり縫いに行ったところが、どこやら面影をとどめながらそのラスキンハウスになっているから、この間父、スエ子づれで行ったら何だか可笑しかった。父がそのバラずくめを見て、例のふりかたで頭をふって曰ク「まだ子供だ」。でもミキモトさんはもうお父ちゃんなの。私は余技アマチュアというものの主観的な特長を一席実物について父に話してきかせました。
おや、耳の中がキーンと云う。変ね。そろそろ寝ろとの知らせでしょう。馬のついた文鎮をのせて又この次。
今は八日の午後三時。ひどい風の音にまじって、隣家の庭で炭やが炭をひいている音がきこえます。小学校の校庭の騒ぎはまさに絶頂。風でがたつく障子を眺めながら私は考えている、この家は仕様がないな。斯うすき間だらけでは、と。
私は大変風がきらいなことを御存じだったかしら。このことと、むき出しの火を見ることが好きでない点は父方の祖母のおき土産です。おばあさんは、貴方御存じないけれども南風の吹く日はやたらに忙しがって用もないのにお離れでコトコト動いて、私が「おばあさま、どうなすったの」ときくと、「きょうは、はア、南風が吹くごんだ」と云って、あわてているの。春になって南風が吹くと私も閉口いたします。きょうは、夕飯を林町でたべて夜下町へ用事で出かけます。街燈のない広い大通りは宵のうちから淋しいものね(ではまた)
もうきょうは十一日。何という日の経つことは速いのでしょう。きのうは雨のふる中を田圃道をこいで歩いてすっかりくたびれてしまいました。
あなたに申し上げるのを忘れました
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