この描写でも上手《うま》いわね。とことんのところまで色も彫りも薄めず描写して行く力は大きいものですね。谷崎は大谷崎であるけれども、文章の美は古典文学=国文に戻るしかないと主張し、佐藤春夫が文章は生活だから生活が変らねば文章の新しい美はないと云っているの面白いと思います。しかし又面白いことは佐藤さんの方が生活的には谷崎さんのように脂《あぶら》こくはないのですからね。
(アラ、どうしたのでしょう、小学校のラジオが大きい声で、株の相場を喋り出した。三十八円|十《とお》銭ヤスだなどと喋っている。このラジオで朝子供らが体操をやります。徹夜したり、早起きしたりした朝私は二階の窓からその校庭の様子を目の下に眺めます。)
この間の音楽会で広津さんにあいました。いつも元気ですねと云っていた。私が『日日』にかいた随筆のことをいっていたのです。さっきその原稿料が来た。短いもの故わずかではあるが、ないには増しです。
あなたの召物や何か、これからは本のようになるたけお送りします。いろんな意味で流行《はや》っている本もお目にかけますから、どうぞそのおつもりで。きょうはこれでおやめにいたします。私は毎日、特別な心持でポストをあけて居ります。
追伸。お下げになった夏の着物は三日ばかり前につきました。
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[自注2]鶴さん――窪川鶴次郎。
[自注3]咲枝――百合子の弟の妻。
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二月十七日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 上落合より(封書)〕
第七信 二月七日の夜からはじまる。木曜日。下弦の月。さむし。
こんばんは。今、女の生活のことについての二十枚近いものを書き終り、タバコを一服というような、しかし心の中にはまださまざまの感想が動いているという状態で此を書きます。すこしくたびれた。今、口をきく対手がない。だから、これを書きます。昨日は今年の中で一番寒い日でしたそうです。品川沖へ海苔とりに出たお爺さん漁師がモーターが凍ったところへいろいろ網にひっかかったりして不幸にも凍死したという話があります。私はゆうべも仕事をしていたがあまり寒いので寝てしまいました。寝ながら、さむいといってもここには火鉢があるということを非常にはっきり感じました。あなたは霜やけにおなりになりませんか? 足の指に出来ていませんかしら。よくこすることです。塩をつけてこするといい
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