日没近くであったが中井の先の下落合の方の野っぱらを散歩して、いい気持でした。その丘の雑木林の裾をめぐる長い道は東長崎の方へまでつづいているのだそうです。夕靄《ゆうもや》がこめている。その方をしばらく眺めました。その野原の端を道路に沿って小川が流れていた。その小川も東長崎の方へまでつづいているのでした。その夕方はいねちゃんも久しぶりで元気で軽々と歩いたし、よかった。女が文学の仕事をする。――芸術家その他として真に発展するためには様々の困難が家庭生活の中にもある。それが現在のような時にはのしかかってくる。気分的にそれにまけてはくちおしいからねと私はつよく云い、あのひともそれはもちろんそう思うのですから、今はもう自分から坐り直して元気になったのです。
ことしの大晦日は、どの友達のところもほとんど皆夫婦そろっているから、私は私のいないことで誰も寂しがらせないから、何年ぶりかで父とお年越しをしようかと云っているところです。お正月七日がすぎたらお目にかかりにでかけます。この頃、もうお弁当はないでしょう。そのままでようございますか? 冬のうちだけ牛乳と卵だけは召上って下さい。それからそちらでリンゴと南京豆を買って、南京豆は少ない数をよくよくかんで食べて下さい。そうしてたべると大変体によいそうです。ぜひ忘れないように。
文芸家協会の年鑑は、今年私の「文学における古いもの、新しいもの」という評論をのせました。三五年度の人々の漫画を一平が描き私をも描いている。人間としての本質を把えることができず、あいまいに描いているところはかえって面白く思われました。子供の劇団がイソップ物語をやっております。切符をもらった。観にゆくつもりです。ではおやすみなさい。今はもうあなたがお寝になってから六、七時間も経っている時間です。夜番の拍子木の音が響いている。
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[自注22]国府津――百合子の実父たちの海岸の家。
[自注23]太郎――百合子の甥。
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十二月二十六日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 上落合より(封書)〕
第四信。
十二月二十六日からはじまる。今夜は火曜日の夜で、今の家に移ってから火曜日と金曜日の午後を人に会う日にきめているので、三四人来て、かえったところです。林町の父にお歳暮に母のかたみの着物でどてらを縫って貰っていたのが出来上り。
私
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