分にあがってしまった。
 台所では二つの氷嚢に入れる氷をかく音が妙に淋しく響き主夫婦は、額をつき合わせて何か引きしまった顔をして相談して居るのを見ると娘は、じいっとして居られない様な気持になって、何事も手につきかねた風に、あてもなくあっちこっちと家中を歩き廻って居た。
 親元に報じてやる手紙が出されるのを見てから赤子のわきに横になりはなっても、自分が経験した病気に対する、あらゆる悲しさや恐ろしさが過敏になった心に渦巻きたって、もうどうしても死なねばならないときまってしまった様な厳な気持になったりして、いつとなし眠りに落ちるまで、もごもごと寝返りを打ちつづけて居た。
 明る朝は誰も彼も起きぬけに宮部の容態を気にしあって、夜中に二度ほど行って氷をとりかえてやった女中は、そこいら中で捕えられて喋らされた。
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 いつ行っても、天井を見て起きて居るんでございます。
 きっと一晩中まんじりともしなかったんでございましょうよ、可哀そうに。
 他人の中で病《や》むほどつらい事はございませんものねえ。
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 此処へ来て一日ほど立って、指をはらして二月も順天堂に通った事のあるその女中は、ほんとうに思いやりがあるらしく涙声で云った。
 その日一日八度から九度の間を行き来して居た宮部の熱は、夜になっても別にあがりもしなかった。
 それでも病人の部屋のわきの竹縁に消毒液をといた金□[#「□」に「(一字分空白)」の注記]がならんであったり、氷の音がしたりすると、皆は、いやなものをさしつけられた様な気持になって不安げなつぶやきが低く起った。
 それから二三日は何の変りもなくって退屈に立って行ったが、五日目に七度二分に熱[#「熱」に「(ママ)」の注記]った時には、皆がもう生き返った様な面差しになって、
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「もう大丈夫ですよ、ええ。
 チブスなら、どんな事があったって今頃下るって云う事はないのです。
 それに、先生が云っていらっしゃったけれど、何にも下熱剤をつかってないと云うんですもの。
 まあまあ何よりでしたねえ、
 今夜からよくねられる様になるでしょう。
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 主婦などは、そう云って自分の事の様に喜んで、わざわざ、宮部の部屋まで出かけて、
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 もう大丈夫だから安心して早くよくおなり。

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