身の熱い階級闘争を感じずにはいられぬ情勢に来ているのだ。
 だが、プロレタリア作家たちは、プロレタリア・農民が解放へ向って闘う複雑な現実の一部として、あますところなくこれらの一見些細な、然し根強い婦人の日常闘争の事実を、芸術化しているとは云い得ない。
 プロレタリア・農民自身の語りて[#「語りて」に傍点]としての婦人作家がこういう情勢の中からどしどし新しく出て来てはいない。
 日本プロレタリア作家同盟は、婦人作家をこめて正しい線に立つ全プロレタリア作家がその文学活動においてこれまでは大衆の半数者としての婦人の闘争の注意深い取扱いをやや見落していたことを厳しく自己批判した。この立ちおくれを急速にとりかえし、プロレタリア文学の中に解放運動における婦人大衆の独特な歴史的実践が階級全体の闘争との生々しい連関においてもっともっと隈なく描かれるように、婦人のプロレタリア・農民作家がドシドシ文学サークル員・通信員の中から養成されるように、日本プロレタリア作家同盟の全活動を鼓舞するため、婦人委員会というものが設けられたのだ。
 日本プロレタリア作家同盟が、婦人の文学における活動へ特別こういう注意を向けたことは、階級的なあらゆる見地から正しい。
 なぜなら、プロレタリアートの世界観だけが、社会の勤労を基礎として男と女とを同志として考え得る。レーニンも云っている通りプロレタリアート全体の真の解放だけが婦人を解放するのだ。生活の現実で日夜婦人大衆が独特なやりかたで解放運動の全面に参加しているとき、階級の武器としての文学であるわれわれのプロレタリア文学にその姿が如実に反映しないということはあり得ない。一人の新しい婦人プロレタリア作家が出るということは、それだけプロレタリア文化の具体的な勝利を意味することなのだ。

 去年の九月に婦人委員会が設けられてから既に半年近くなる。今年の初、東京支部総会で婦人委員会は活動の便宜上本部婦人委員会と東京支部婦人委員会とに分れた。
 僅か半年だが、婦人委員会の活動によって日本プロレタリア作家同盟東京支部における婦人同盟員の数は増した。日本プロレタリア文化連盟が、日本のプロレタリア文化運動の唯一つの輝かしい綜合団体として結成されてから、作家同盟はそこの婦人協議会へ数人の婦人作家を協議員として送り出している。
 日本プロレタリア文化連盟から刊行される日本で唯一
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