なければならない立場になりました。
わたしたちの誰が、またもう一度、しかもあの恐ろしい経験に幾十倍かする新しい戦禍に見まわれたいと思うでしょう。どんな母が、妻が、そして愛人たちが、またふたたび愛する息子、大事な父親、将来の夫を、どこか知れない山の奥、ジャングルの泥沼に死なせてよいと思っているでしょう。
戦争というものは、平和を愛し、勤勉に働いて家庭生活を愛している人民の一生を、じかに、無惨に、破壊するものです。そうだからこそ、こんにち、ラジオや出版物で戦争を挑発し、戦争ヒステリーに感染させようとしている者どもは、この地球のどこかに、この次の戦争に利用されていい民族、あるいは人民の群が存在してでもいるかのような云いかたをしています。自分のところは無傷で、よその国を軍事基地化し、そこの人民を傭兵として、それで戦争をやるのだ、という風に。――
しかし、みなさま。
この地球のどこに、他国の軍事基地となるために存在して来た国があるでしょう。
そして、みなさま。
傭兵とされるために、辛苦とたたかってその子を生み育てている母が、世界のどこの国にいるでしょうか。
この訴えこそ、日本の人民の訴えであり、二百万人ばかりの戦争未亡人をふくむ日本の婦人の叫びです。同時に、永年にわたる植民地人民としての屈辱から立って、民族の独立を告げつつある全アジアの人民と婦人の声です。
アメリカやイギリスの各地でも、きょうの三月八日という日には、平和こそ人類がこんにち必要としているものであることを明らかにして、国際婦人デーが行われておりましょう。
アジアと東ヨーロッパの社会主義国家、人民民主主義国家が、ことしの三月八日の婦人デーを、世界平和のためにつよい一歩を前進させる日としていることは明瞭です。十億の人民が、平和のために立っているのです。
こんにち、各国との全面的な講和によって日本の平和が保証されなければならないという問題は、ぴったり、わたしたち一家の問題です。思想の問題ではなく、生きるか、死ぬか、生存の問題です。税がはらえなくてこんなに自殺する人々がふえているきょう。失業と生活苦とがひとしお深刻になっているきょう。学校へゆけない学童のふえているきょう。人民の生活をこういう状態におとしておく政府が、世界を攪乱する戦争挑発に協力していないという証拠を、わたしたちは、どこに見出すことが
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