。特高は自分の横顔をしきりに注視しているが、自分は今度のことを機会に自分達の全生活が全くこれまでと違う基調の上に立てられるようになるものだということは知っているのだ。
自分は、立ったままテーブルの上にあった硯箱《すずりばこ》を引きよせ、墨をすりおろして筆先をほごしながら、
「御覧なさい、あなたがたのデマの効果がもうあらわれた」
と云い、短く返事を書いた。それを読みかえしていると、後から一人の男がスとよって来るなり、私の手からその半紙をひったくり、黒いむずかしい顔でそれを読み下した。
グッと腕をのばして、私にはかえさずじかに特高に渡す。特高はいやにお辞儀をしてガラス戸をしめて出て行く。――
私は、謂わばそのときになって初めてその男とその室の様子とに注意を向けたのであった。
髪をこってりと櫛目だてて分け、安物だがズボンの折目はきっちり立った荒い縞背広を着たその男は、黒い四角い顔で私を睨《にら》み、
「そこへかけて」
顎で椅子をしゃくった。自分は腰をおろした。縞背広は向い合う場所にかけ、
「警視庁から来た者だ、君を調べる!」
「――そうですか」
それきり何も云わず、ポケットから巻
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