ュースない?」
「蔵原、やっぱりひとりらしい」
「…………」
 留置場の便所には戸がない。流しから曲ったところが三尺に一間のコンクリで、突当りに曇った四角い鏡が吊ってある。看守が用便中のものを監視する為の仕かけである。窓のない暗い便所にかがんでいる間、自分の頭は細かくいろいろな方面に働いた。そして、聞いたばかりの短い言葉から推察されるあらゆる外の情勢を理解しようとして貪慾《どんよく》になった。出て来て手を洗いながら又訊いた。
「拘留ついた?」
「中川の奴、二十日だって。……ブル新、盛に『コップ』をデマっているらしいよ」
「ほか、無事かしら」
「わかんない。……でも」
 一寸言葉を区切り、やや早口で、
「――無事らしいね」
 彼が誰のことを云っているか分って、私は口に云えぬ感じに捕えられ、黙って大きく深く合点をした。

 特高が留置場へ来た。
 自分を出させ、紺木綿の風呂敷でしばった空弁当がつんであるごたごたした臭い廊下へ出るといきなり、
「女中さんが暇を貰いたいらしい様子ですよ」
と云った。いかにも気を引いて見ようとする抑揚だ。自分はむっつりして黙って歩いた。
 二階の塵っぽい室へ入る
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