その日のためにも、自分は書いて置く。そう思うのであった。
メーデーが近づいた或る日、高等室へ出ると、火の気のない錆びた鉄火鉢の中へうず高く引裂いた本が投げこまれている。
主任が、ズボンの膝をひきしめるようにしながら、
「どうです」
目でその引裂いたものを指し示し、「朝日」に火をつけた。
かがんで頁をといて見たら、誰かの「唯物史観」であった。
「あなたがやぶいたんですか」
「いや。今帰った若い者が、もう一切こんなものは読みません、とここで誓って破いて行ったんです」
「ふーむ」
暫く黙っていたが、主任は乾いた舌をはがそうとするような口の動しかたをして、
「あなた方の考えているようなもんではないじゃないですか」
自分はにやりとして黙っている。この主任は、事ごとに、彼から見れば所謂心理的[#「心理的」に傍点]な雑談をしかけ、警察的暗示を注入しようとするのが常套手段なのである。
自分は正面の窓から消防署の展望塔を眺めた。白ペンキで塗られた軽い骨組みの高塔は深い青葉の梢と屋根屋根の上に聳えて印象的な眺めである。同じ窓から銀杏並木のある歩道の一部が見下せた。どういう加減かあっちへ行
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