少く、看守の気も鎮っていた。一緒につかまった男の同志が人馴れた口調で看守に国鉄従業員の勤務状態などを、話しかけている。それにかこつけて、巧に必要な連絡を女の同志に向ってつけているらしい。女の同志はじっとそれに耳を傾け「ふ、あんなこと云ってる」などと頼もしそうに笑った。
夕方、自分が二階へ出された。すると特高の西片というのが、
「ゆうべの女はどうしてますか」
と云った。
「ひどい有様ですよ、朝から何一つ食べられやしない」
「軟いものぐらい買ってやるからって云って下さい。まさか人間様に相すまないからね[#「まさか人間様に相すまないからね」に傍点]」
ステッキを口の中へ突込み、あんな負傷をさせたのは、この男なのであった!
留置場へ戻るとすぐ自分は女の同志に、
「パンと牛乳買って貰いなさいよ」
と云った。
「漬けてなら食べられるから」
「そうしようかしら――じゃ買って下さい」
看守は小机に頬杖をついたまま、
「きかなけりゃ駄目だ」
「今上で私につたえろと云ったんだから、いいんです」
「金あるのか」
「あるわ、上にあるわ」
物臭さそうに看守は肩から立ち上って、「小父さァん」と小使いを呼んだ。
三日ばかりで、組合の男の同志は月島署へまわされた。
看守が残った女の同志に、
「君ァ、鳩ぽっぽ(レポータア)かと思ってたらどうしてなかなか偉いんだそうじゃないか」
と云った。
「――鳩ぽっぽだわよ」
そして、濡手拭を頬に当てたまま、ふ、ふと静かに笑っている。
自分たちは、段々いろいろのことを話すようになった。
「――入って来たらまだあなたがいたんでびっくりしたわ、とっくに出たんだろうと思ってたのに……」
「仕様がないから悠然とかまえてることさ」
中川が金のことで自分を追及しはじめて間もなく、主任がこんなことを云った。
「ああ、そう云えばあなたの家でつかまった帝大生、ここにいる間は珍しい位確りしていたが到頭|兜《かぶと》をぬいだそうだよ」
自分は冷淡に、
「ふーん」
と云った。
「あのくらいの大物で、あんなに何も彼も清算するのは近来ないそうだ、びっくりしていたよ」
「…………」
六十日以上風呂にも入れず、むけて来る足の皮をチリ紙の上へ落しながら、悠然とかまえてることさと云う時、その主任の云ったことを焙るように胸に泛べているのであった。自分は、金のことを云わなければ半年経とうが帰さないと脅かされて、放ぽり込んで置かれるのであるが、その学生と自分の金の問題とが妙に連関しているようで、しかも心当りもなく、結局、どこの誰がどう清算しようと、知らない事は知らない事だと、腰を据えるしか仕方がないのであった。
女の同志は、
「本庁の奴、私を見て、なァんだもう来ていたのか! って、あきれてたわ」
この前は拘留があけると警察から真直ステーションへつれてゆかれ、汽車にのせられ、国元へ送り帰されたのだそうだ。鉄道病院の模範看護婦で、日本大学の夜学で勉強したことがある――。
「そこであんまりとんちんかん[#「とんちんかん」に傍点]な社会学の講義をきかされたんで、妙だ、妙だと思ったのがこっちへ来る始りなのよ」
可笑《おか》しそうに笑いながら、
「自分で働いてりゃ、馬鹿だってその位気がつくわよ、ねエ」
サークルの話も出た。文化団体のサークル活動が新しい方針によって実行されるようになってから日の浅いせいもあり、組合のアジプロ活動などと、まだ十分うまく結合、利用されていない――。
「あなた方の活動の日程に、この問題が本気でとりあげられています?」
女の同志は、
「さあ」
と考え、
「皆が皆、そこまでハッキリ考えちゃいないわね」
率直に、
「ああ、文化団体か! ってところはのこっているわね」
と云った。だが、交運関係では、既にサークルをもっている職場がいくつかある。自分はそのことを話し、笑いながら、
「どう? 知っていた?」
ときいた。
「知らなかった」
「我々はこれまで、お互にいろんな損をして来ていると思う。我々が偏見をもって反撥していれば、それだけ嬉しがってる奴があるんだから」
「――そう思うと、癪だね」
「ねえ!」
そんなことを話し合って監房の金網から左手の欄間を見上げると、欅《けやき》は若葉で底光る梅雨空に重く、緑色を垂らしている。――
ズーッと入って行って横顔を見、自分はおやと目を瞠《みは》った。いつかの地下鉄の娘さんの父親がやって来ている。
「そういう次第でして――私としましては或はもう死んでいるものと思いますが、どうぞ一つ、よろしくお願いします」
自分は傍のテーブルで新聞をひろげた。
「いや……だが――困ったね」
主任は、例の酸っぱいような口つきをしながら、鼠色合服の上着の前を左右から掻きあわせつつ、
「どうです……何か変
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