とやって見せたりして、猿をからかうように留置人をからかうのであった。そのために、吸いもせずにくたくた古くなったバットを二本、いつもニッケル・ケースに入れてもっているのであった。
「チッ! いけすかない!」
 空巣の加担をし※[#「貝+藏」、429−14]品を質屋へ持って行って入れられている五十婆さんが舌うちした。
「あたし、世の中にこういうとこの人《しと》たちぐらいいやな男ってないわ」
 横坐りをしている若い女給が伊達巻をしめ直しながら溜息をついた。
「刑事なんぞここじゃ横柄な顔してるけど、お店へああいう人《しと》が来ると、まったく泣けるわ。そりゃねちねちしてしつっこいのよ。つんつんすりゃ仇されるしさ、うっかりサービスすりゃエロだってひっかけるしさ。――お店だってよくかり倒されんのヨ」
 引っぱられて来るのは女給が一番多く、そのほかでも、話を聞いて見ると八割までは、媒合、売淫、堕胎など、資本主義社会における女の特殊な不幸を反映しているのであった。

 呼び出されて、いつも通り二階へ行くものと思っていたら昇り口を通りすぎ、主任が先へ歩きながら、
「おっかさんが見えてるんだが……」
 立ち止って、グルリと平手で五分苅頭を撫で、
「――会いますか」
 厭《いと》わしさと期待の混り合った感情が自分を包んだ。
「会いましょう」
 コンクリートの渡りを越え、警察の表建物に入ると、制服巡査が並んで、市民の為の[#「市民の為の」に傍点]事務をとっている。その横に署長室がある。
 ドアをあけると、署長の大テーブルのこっち側の椅子に母親が腰かけている。ドアが開くと同時に白い萎《しぼ》んだ顔を入ってゆく自分に向け、歩くから、椅子にかけるまで眼もはなさず追って、しかし、椅子にかけている体は崩さず、
「……どうしたえ、百合ちゃん……本当にまァ……」
 主任は、爪先で歩くようにして室の角にかけ、此方を見ている。署長は、大テーブルのあっち側で、両手をズボンのポケットに突こみ、廻転椅子の上に反っている。
「どうですね」
「ええ。……体はどうなの?」
 自分は真直母親と口をききはじめた。こういう場面で母娘の対面は実に重荷であった。我々母親は十何年来別々に暮して来ているので、警察で会っても二つの生活の対立の感じは、消すことが出来ないのであった。
「どうやらこうやってはいるけれどもね」
 まじまじ自分を眺め母親は、
「本当に、これじゃあどっちが余計苦労しているのか分らないようだよ、お前はいつ会っても平気そうに笑っているけれど……」
「だって、泣くわけもないもの」
 自分は重く、声高く笑い、自分には興味のない犬だの、小さい妹の稽古だののことに話頭を転じる。母親がいらぬ心痛から妙な計画でも思いついては困ると、自分は留置場の内のことについては、何一つ云わないようにしているのであった。
 話しながら自分はちょいちょい、母親の手提袋を膝にのせて控えている妹の顔に視線をやった。母親との話はすぐとぎれた。すると妹が、
「――やせたわね」
と眼に力を入れて云って、可愛い生毛の生えた口許にぎごちないような微笑を泛《うか》べた。
「そうオ?」
 頬ぺたを押えながら、自分はゆっくりこちらの気持を打ちこむように云った。
「どう? みんな変りなくやっている?――この頃は私の知りもしないこと云え云えで閉口さ」
「そうなの!」
 びっくりしたように目を大きくする。押しかぶせて、
「どう? 何か変ったことないの?」
 意味ありげな顔つきをしている癖に、こういう場面に全く馴れない妹は何も云えず、母親は母親で、やはり気持のはけ口を求め、神経的に真白い足袋の爪先をせわしく動かしている。――心配をしているのは真実なのだが、彼等は、はっきり私の側に立って、たまの機会はどしどし積極的に利用するという確り引立った気分で腰を据えていないから、手も足も出ない有様なのであった。
 母親は、持ち前の性質から、矢張り、そんな犬の仔の話などしておれない気持になり、段々焦立って、遂には議論を私に向ってふきかけ始めるのであった。
「私はね、それが正しいことだとさえ分れば、よろこんでお前の踏台になりますよ。ああ、命なんぞ、どうせ百年生きるものじゃないから、未練はない。だが、どうも私には一点わからないことがある。――国体というものを一体お前はどう思っているのかい?」
 署長は、廻転椅子の上で身じろぎをし、主任は、隅で胡麻塩髯のチビチビ生えた口許を動かす。
 自分は、
「……相変らずね!」
と、全場面に対して湧き起る顫えるような憎悪を抑制して苦々しく笑い、
「そういう議論を、こんなところではじめたってお互の為にろくなことはないんだからね。やめましょう」
 母親は、不服げに、十分意味はさとらず、然しぼんやりそれが何か不利を招くと直覚
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